遠野保(読み)とおのほ

日本歴史地名大系 「遠野保」の解説

遠野保
とおのほ

建武元年(一三三四)八月三日の北畠顕家国宣(遠野南部文書)に遠野保とみえ、陸奥国守顕家が面(角か)懸左衛門尉らの当保押領を退け、阿曾沼朝綱の代官朝兼に引渡すよう南部又二郎(師行)に命じている。阿曾沼氏当地の関係は、文治五年(一一八九)源頼朝が藤原氏を滅ぼしたのち、遠野一二郷を阿曾沼広綱に与えたのが始まりと伝える(阿曾沼興廃記)。阿曾沼氏の当保における権利は地頭職であったが(観応元年八月二〇日「阿曾沼秀親譲状」小山文書)、一四世紀後半には下野小山氏に奪われたと思われる(年月日未詳「某所領注文案」同文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の遠野保の言及

【遠野[市]】より

…現在は米作を中心に畜産,タバコ,ホップの生産が行われ,北上山系の大規模開発事業とともに田園都市としての発展をめざしている。【川本 忠平】
[歴史]
 1189年(文治5)下野国阿曾沼郷の阿曾沼広綱が源頼朝から遠野保の地頭職に任ぜられた時が,この地名の初見である。1350年(正平5∥観応1)の下野国の豪族小山秀親の譲状にも遠野保の地頭職がみえているので,このころ阿曾沼・小山両氏間で遠野保をめぐる所領争いがあったと推測されるが,現実には阿曾沼氏が支配していた。…

※「遠野保」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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