遠野通(読み)とおのどおり

日本歴史地名大系 「遠野通」の解説

遠野通
とおのどおり

盛岡藩三三通の一つで、閉伊へい郡・紫波しわ郡にわたる。寛文六年―天和三年(一六六六―八三)の領内総検地実施後成立したと思われる(岩手県史)。遠野通は藩の蔵入地がなく、遠野南部氏の知行地であるため、藩の代官区としての通ではないが、通常は三三通の一つとして取扱われた。通の支配鍋倉なべくら城の遠野南部氏を通して行われ、盛岡藩から一定の独自性を許されていた。「邦内郷村志」によれば、閉伊郡は横田よこた青笹あおざさ糠前ぬかまえ中沢なかざわ板沢いたざわ切懸きりかけ平倉ひらくら大寺おおてら平野原ひらのはら来内らいない細越ほそごえ新里につさと釜石みさざき綾織あやおり奥友おとも羽根通はねとおし小平おたいら畑中はたけなか光興寺こうこうじ松崎まつざき駒木こまぎ安居台あおだい附馬牛つきもうし妙泉寺みようせんじ東禅寺とうぜんじ五日市いつかいち土淵つちぶち本宿もとしゆく須崎すざき柏崎かしわざき片岸かたぎし久手きゆうで高室たかむろ飯豊いいどよ宮沢みやざわ山口やまぐち栃内とちない上宮守かみみやもり鱒沢ますざわ(現上閉伊郡宮守村)の四〇村と、紫波佐比内さひない(現紫波町)の計四一村で、総高は一万三千七一二石余、うち一千石は附馬牛八戸氏知行地、家数二千九九六、うち一七〇は附馬牛八戸氏知行分。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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