郡宅郷(読み)ぐんたくごう

日本歴史地名大系 「郡宅郷」の解説

郡宅郷
ぐんたくごう

狩野かの川の支流大場だいば川流域、現三好みよし町付近に比定される中世の郷。田方たがた郡の郡衙があったと推定される。貞和三年(一三四七)三月二七日の祐禅打渡状(三嶋大社文書)に「郡宅郷」とみえ、郷内の名田九町八段大を同月一一日の奉書に任せて三嶋宮(三嶋大社)神主代官に引渡している。しかし守護上杉重能の目代祐禅の時に人給として没収されてしまったため、観応元年(一三五〇)一二月一九日三嶋宮神主盛実の訴えに基づき代官光頼に返付が命じられているが、引渡しに手間取っている(「石塔義房書下案」同文書など)。その後、後家女子が相伝したため闕所とされ、再び人給とされたが、延文六年(一三六一)六月一日、郷内にある南部遠江守(政長)跡・同弥三郎跡・郡宅御名田・佐介上野介跡(市原在家)などが供田として返付され(「伊豆守護畠山国清書下」同文書)、さらに同月二五日、当郷は一円神領であるとの道誓(畠山国清)の注進に基づき、鎌倉公方足利基氏から三嶋社に寄進されている(「鎌倉公方足利基氏寄進状案」同文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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