酒井米子(読み)サカイ ヨネコ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「酒井米子」の解説

酒井 米子
サカイ ヨネコ


職業
女優

本名
酒井 よね

生年月日
明治31年 11月25日

出生地
東京市神田区旭町(東京都 千代田区)

経歴
明治43年新時代劇協会(井上正夫)の「馬盗坊」に12歳で藤嶋芳枝の名で初舞台。続いて田中栄三の土曜劇場、市川猿之助の吾声会などに出演。松井須磨子芸術座には須磨子の反対で入れなかった。その後、八千代の名で下谷芸者に出たが、日活向島撮影所に迎えられて無声映画時代のスターになった。以後溝口健二の「狂恋の女師匠」「日本橋」村田実の「お光と清二郎」辻吉朗の「沓掛時次郎」など時代劇女優の花形として活躍。トーキーへ転換の昭和初期には、酒井米子一座をつくって地方を巡演。その後は主演の座を譲り、30年に溝口の「新・平家物語」にワンカットだけ出演した。

没年月日
昭和33年 10月15日 (1958年)

家族
孫=茅原 ますみ(テレビ東京記者)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「酒井米子」の解説

酒井 米子
サカイ ヨネコ

明治〜昭和期の女優



生年
明治31(1898)年11月25日

没年
昭和33(1958)年10月15日

出生地
東京市神田区旭町(現・東京都千代田区)

本名
酒井 よね

経歴
明治43年新時代劇協会(井上正夫)の「馬盗坊」に12歳で藤嶋芳枝の名で初舞台。続いて田中栄三の土曜劇場、市川猿之助の吾声会などに出演。松井須磨子の芸術座には須磨子の反対で入れなかった。その後、八千代の名で下谷の芸者に出たが、日活向島撮影所に迎えられて無声映画時代のスターになった。以後、溝口健二の「狂恋の女師匠」「日本橋」村田実の「お光と清二郎」辻吉朗の「沓掛時次郎」など時代劇女優の花形として活躍。トーキーへ転換の昭和初期には、酒井米子一座をつくって地方を巡演。その後は主演の座を譲り、30年に溝口の「新・平家物語」にワンカットだけ出演した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「酒井米子」の解説

酒井米子 さかい-よねこ

1898-1958 明治-昭和時代の女優。
明治31年11月25日生まれ。13歳で新劇の舞台をふむ。芸術座にくわわろうとして,松井須磨子(すまこ)の反対にあう。大正9年日活向島撮影所にはいり,「朝日さす前」で映画デビュー。時代劇のスターとなる。のち酒井米子一座をつくり巡業した。昭和33年10月15日死去。59歳。東京出身。本名はよね子。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「酒井米子」の解説

酒井 米子 (さかい よねこ)

生年月日:1898年11月25日
明治時代-昭和時代の女優
1958年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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