野々郷(読み)ののごう

日本歴史地名大系 「野々郷」の解説

野々郷
ののごう

和名抄」記載の古代鹿足郡能濃のの郷を継承する。現在の鹿足郡津和野町と日原にちはら町にまたがる地域と推定される。野郷ともみえる。弘長二年(一二六二)三月一二日の関東御教書写(内田家文書)によると、「吉賀郡野郷地頭代左兵衛尉時次」は新補地頭として長野ながの庄内豊田とよだ(現益田市)に入部した遠江国御家人内田致員を野郷の山野を横領し梁を打壊したとして訴えている。「吉見記」によると弘安五年(一二八二)の一〇月に、蒙古襲来に備えた沿岸警備のために、石見国で三〇〇町を与えられて吉見頼行能登国から野々郷木部の木薗きべのきその(現津和野町木曾野)に入部したとされているので、野々郷は吉見氏の支配下に入ったようである。

室町期になると野々郷は上領かみりよう・下領に分れ、下領は吉賀よしか郷とともに室町幕府の御台御料所とされ、能登の吉見家貞はこれらの地を豊田郷内俣賀またが(現益田市)を所領とする又香氏(俣賀氏)に預けている(年未詳六月八日「守護代家貞奉書」俣賀文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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