野井城跡(読み)のいじようあと

日本歴史地名大系 「野井城跡」の解説

野井城跡
のいじようあと

[現在地名]愛野町甲

南北朝期からみえる城館の跡。観応三年(一三五二)三月五日の安富泰治軍忠状(深江文書)に「野井城」とみえ、この年閏二月一七日に彼杵そのき庄から高来たかく千々石ちぢわ(現千々石町)に移った足利直冬方の小俣氏連に応じて、泰治はその宿直警固のために馳せ参じ、当城や西郷次郎の城、杉峰すぎみね(現瑞穂町)での合戦に参加している。応安五年(一三七二)大友氏の一族で豊後田原たわら別符(現大分県大田村)を拠点とする田原氏能は分領の山田やまだ庄内に山田城(現吾妻町)と野井城を築き、親類の木付左近将監らを配して、高来郡で蜂起した征西将軍宮方の攻撃を防いでいる(同年二月日「田原氏能軍忠状」入江文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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