野瀬観音堂(読み)のせかんのんどう

日本歴史地名大系 「野瀬観音堂」の解説

野瀬観音堂
のせかんのんどう

[現在地名]三戸町梅内 野瀬

梅内うめないの東、馬淵まべち川右岸の標高二六〇メートルの山地に位置する。雑書の承応二年(一六五三)四月八日条に「所々御立願之事」として「三戸野瀬観音」とみえ、藩政期当初から信仰をえていた。宝暦(一七五一―六四)の頃の御領分社堂に「正観音」とあり、俗別当倉之助とされる。草創は長久年中(一〇四〇―四四)で、元和年中(一六一五―二四)二代藩主南部利直により高五石を給されたと伝える。天保八年(一八三七)の南部盛岡藩御領分中各村御蔵給所惣高書上帳でも五石が給されている。寛保三年(一七四三)の「奥州南部糠部順礼次第全」によれば金花山満福寺とも称し、糠部ぬかのぶ三十三観音の第二一番札所とされる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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