野田通(読み)のだどおり

日本歴史地名大系 「野田通」の解説

野田通
のだどおり

寛文―天和年間(一六六一―八四)に成立した盛岡藩の地方行政区域三三通の一。閉伊郡北部と九戸郡南部を占める。東は海に面し、南は宮古通、北から西に八戸藩および上田うえだ通に接する。江戸時代初期には九戸郡南部は久慈代官、閉伊郡北部は北閉伊代官の管轄にそれぞれ属したが、盛岡藩の通制実施によって現久慈市域・岩泉いわいずみ町域の一部と、現普代ふだい村・田野畑たのはた村・九戸郡野田村の村域の村々が野田通に属することとなり、代官所が宇部うべ(現久慈市)に置かれた。「邦内郷村志」によると二升石にしよういし村・岩泉村・安家あつか(現岩泉町)浜岩泉はまいわいずみ村・田野畑村尾肝要おかんよう村・沼袋ぬまぶくろ村・田代たしろ(現田野畑村)萩牛はぎゆう村・普代村堀内ほりない(現普代村)、野田村・玉川たまがわ(現九戸郡野田村)端神はしかみ村・細野ほその村・木売内きうりない村・深田ふかだ村・下戸鎖しもとくさり村・上戸鎖村・宇部村・白前しろまえ村・侍浜さむらいはま(現久慈市)の二二ヵ村が含まれた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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