野鞍庄(読み)ののくらのしよう

日本歴史地名大系 「野鞍庄」の解説

野鞍庄
ののくらのしよう

武庫むこ川中流域の現上相野かみあいの・下相野・西相野・くさ東本庄ひがしほんじよう・上本庄一帯に散在したと推定される庄園。野蔵とも記した。

〔皇室領野鞍庄の伝領〕

永暦元年(一一六〇)一一月二日の美福門院庁下文(国立歴史民俗博物館蔵醍醐寺文書)によれば、美福門院(鳥羽天皇皇后、藤原得子)普成仏名ふじようぶつみよう(仏名院、山城醍醐寺子院)に「摂津国野鞍庄」を施入し、同女院の後世菩提のため聖心阿闍梨として仏眼護摩を修させた。このとき施入したのは領家職で、本家職は美福門院から八条院に伝領され、承久の乱後幕府に没収された後、同三年後高倉院に返還され(「八条院遺跡御願寺庄々等目録」醍醐寺文書、以下断りのない限り同文書)、嘉元元年(一三〇三)九月に後宇多上皇が継承、次いで昭慶門院に受継がれた(嘉元四年六月一二日「昭慶門院領目録案」竹内文平氏旧蔵文書)。立庄時期は不詳だが、もと杣山が立庄されたもので、年貢として材木を運上していた。久安年中(一一四五―五一)に途中の弘井ひろい庄・西宮(現西宮市)川面かわも(現宝塚市)の三ヵ所で木材に率分が課されたが、鳥羽院庁は率分賦課停止の下文を出した。仁安三年(一一六八)後白河上皇も再び三ヵ所に率分賦課を停止するよう命じている(以上、同年七月七日「後白河院庁下文」国立歴史民俗博物館蔵醍醐寺文書)

〔仏名院領の伝領〕

仏名院は美福門院が平治年間(一一五九―六〇)に建立したもので(建長五年八月日「後嵯峨院庁下文」国立歴史民俗博物館蔵醍醐寺文書)、初代院主聖心は寿永三年(一一八四)三月二〇日、院主職と当庄領家職を香愛若に、当庄預所職は門弟である奈良興福寺住侶の長心に譲与した(普成仏院々主聖心譲状案)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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