金子洋文(読み)かねこようぶん

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「金子洋文」の意味・わかりやすい解説

金子洋文
かねこようぶん

[生]1894.4.8. 秋田
[没]1985.3.21. 東京
小説家,劇作家本名吉太郎。 1913年秋田県立工業学校卒業。 17年武者小路実篤書生となった。社会主義思想に関心をもち,21年2月,同人誌『種蒔く人』を発刊。 23年3月,小説『地獄』を雑誌『解放』に発表して文壇に認められた。以後,表現形式の新鮮な初期プロレタリア文学のにない手として活躍。 24年雑誌『文芸戦線創刊。 27年日本プロレタリア文芸連盟を脱退して労農芸術家連盟を結成。プロレタリア文学運動解体後は大衆的な上演用脚本を書き,第2次世界大戦後社会党参議院議員にもなった。小説集『地獄』 (1923) ,『赤い湖』 (30) ,『天井裏の善公』 (30) ,戯曲集『洗濯屋と詩人』 (27) ,『飛ぶ唄』 (29) その他,多くの著書がある。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「金子洋文」の意味・わかりやすい解説

金子洋文
かねこようぶん
(1894―1985)

小説家、劇作家、演出家。秋田県生まれ。本名吉太郎。秋田県立工業学校卒業後、傾倒していた武者小路実篤(むしゃのこうじさねあつ)宅に寄寓(きぐう)。しだいに社会主義思想にひかれ、1921年(大正10)『種蒔(ま)く人』の創刊に参加。23年小説『地獄』でプロレタリア文壇に登場、『狐(きつね)』『牝鶏(めんどり)』(1923)、『飛ぶ唄(うた)』(1929)などで劇作家として注目された。24年『文芸戦線』創刊に参加、のちナップと対立、30年(昭和5)労農芸術家連盟委員長となる。第二次世界大戦後は社会党から第1回参議院議員となった。劇作、演出ともに商業劇場での仕事が多い。

[藤木宏幸]

『『金子洋文作品集』全二巻(1976・筑摩書房)』

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「金子洋文」の解説

金子洋文 かねこ-ようぶん

1894-1985 大正-昭和時代の小説家,劇作家。
明治27年4月8日生まれ。武者小路実篤(さねあつ)に師事し,大正10年小牧近江(おうみ)らと「種蒔く人」を創刊。12年の小説「地獄」,戯曲集「投げ棄てられた指輪」などでみとめられ,翌年「文芸戦線」創刊に参加。戦後,参議院議員(社会党)。のち新派などの劇作,演出を担当した。昭和60年3月21日死去。90歳。秋田県出身。秋田工業卒。本名は吉太郎。

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世界大百科事典(旧版)内の金子洋文の言及

【解放】より

…黎明会,新人会の会員が執筆したほか,荒畑寒村,堺利彦,山川均,山川菊栄などの社会主義者も毎号のように登場している。文芸欄には小川未明,宮地嘉六,金子洋文らが執筆,しだいに労働者作家,社会主義的作家の寄稿が増加したが,関東大震災のため23年9月終刊した。(2)第2次 25年山崎今朝弥(けさや)の経営に移り,日本フェビアン協会の《社会主義研究》を7月号より《解放》と改題,10月号から総合雑誌化された。…

【種蒔く人】より

…アンリ・バルビュスのクラルテ運動とコミンテルン成立との影響を受けて帰国した青年小牧近江(こまきおうみ)(1894‐1978)を中心に,最初は彼の郷里秋田・土崎で小規模に,のちには東京で反軍国主義とロシア革命の擁護とをかかげ多くの進歩派に呼びかけて思想文学の共同戦線的な雑誌として再出発した。小牧のほかに金子洋文,今野賢三,村松正俊,柳瀬正夢,佐々木孝丸らが中心となり,のち平林初之輔,青野季吉が加わってからは階級運動の一翼としての文学を主張,最初のプロレタリア文学運動の雑誌として注目された。【小田切 秀雄】。…

※「金子洋文」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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