日本大百科全書(ニッポニカ) 「金易右衛門」の意味・わかりやすい解説
金易右衛門
こんやすえもん
(1776―1839)
江戸後期の出羽(でわ)国秋田藩士。名は秀興(ひでおき)、別号古秋園、俳人として一陽とも称した。16歳で出仕したが、ちょうど秋田藩の藩政改革が推進されていた時期にあたってもいて藩の各役職を歴任し手腕を発揮した。1807年(文化4)の松前出兵の際には藩の陣場奉行(ぶぎょう)を勤めた。また藩の殖産政策が強力に進められていた文化・文政(ぶんかぶんせい)期(1804~30)には雄勝(おがち)郡川連(かわつら)村(秋田県湯沢(ゆざわ)市)の農民関喜内(きない)の進言を採用し、藩の資金を投入して養蚕・機業の振興を図り、城下久保田(秋田市)に養蚕座を設立するなど産業振興に指導的役割を果たした。
[高橋秀夫]