金輪王寺跡(読み)きんりんのうじあと

日本歴史地名大系 「金輪王寺跡」の解説

金輪王寺跡
きんりんのうじあと

[現在地名]吉野町大字吉野山小字西ノ尾

蔵王ざおう堂のすぐ北西下の岬状台地にあった寺院で、吉野朝の行宮とされた。延元元年(一三三六)一二月吉野山に逃れた後醍醐天皇は、一時吉水きつすい(現吉野町吉水神社)に身を寄せたが、のち金峯山きんぶせん寺の塔頭のうち最も広壮だった実城じつじよう寺を宮と定め、寺号を金輪王寺と改めた。南朝方の行政・軍事司法の諸機関をはじめ、天皇の御座所、百官官女の公私生活の場所などには付近の大小二〇に及ぶ寺院集団があてられた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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