デジタル大辞泉
「鈴ヶ森」の意味・読み・例文・類語
出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
鈴ヶ森 (すずがもり)
東京都品川区東南部にあって,江戸幕府が刑場を置いた地。その名は南方の磐井(いわい)神社(鈴ヶ森八幡)の森に由来する。1651年(慶安4)開設という刑場は,東海道の往還に臨んで間口40間,奥行き9間の規模を有し,千住小塚原(こづかつぱら)刑場と並び称せられた。獄門刑の梟示が多く,磔,火罪(火焙(ひあぶり))の刑も執行した。明治初年に廃止され,現,南大井2丁目の大経寺境内が都旧跡の指定を受けている。
執筆者:加藤 英明
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
鈴ヶ森【すずがもり】
歌舞伎劇。初世桜田治助作,1803年初演の《幡随長兵衛精進俎板(ばんずいちょうべえしょうじんまないた)》の一場面が,のち4世鶴屋南北の《浮世柄比翼稲妻(うきよがらひよくのいなずま)》の中で書き改められ,独立して上演されるようになったもの。お尋ね者白井権八と侠客(きょうかく)幡随長兵衛の出会いを様式的に描いた作で,長兵衛の〈お若えの,お待ちなせえ〉で始まる両者の名せりふで知られる。
鈴ヶ森【すずがもり】
東京都品川区南大井2丁目付近にあった江戸時代の刑場。日本橋本町にあった刑場に代わって1651年新設,千住小塚原(こづかっぱら)の刑場と並び称せられた。ここで丸橋忠弥,八百屋お七などが処刑された。明治初年廃止。
→関連項目大井町
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
鈴ヶ森
すずがもり
東京都品川区の第一京浜 (国道 15号線) 沿いにあった江戸時代の刑場の1つ。慶安4 (1651) 年日本橋近くの本町にあった刑場を,北郊の千住小塚原と南郊の鈴ヶ森に分けて設置。天一坊,八百屋お七,丸橋忠弥らが処刑された刑場として有名。国道沿いに刑場跡を示す遺跡がある。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
鈴ヶ森
古典落語の演目のひとつ。上方ばなし「崇禅寺馬場」を改作し東京に移したもの。
出典 小学館デジタル大辞泉プラスについて 情報