鈴木荘六(読み)スズキ ソウロク

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「鈴木荘六」の解説

鈴木 荘六
スズキ ソウロク


肩書
枢密顧問官

生年月日
元治2年2月19日(1865年)

出生地
新潟県

学歴
陸士(第1期)卒 陸大卒

経歴
明治24年騎兵第4大隊付、27年同中隊長で日清戦争従軍日露戦争には第2軍参謀。41年参謀本部作戦課長、次いで騎兵第3旅団長、騎兵監。大正8年第5師団長、ロシア革命干渉でシベリア出征。台湾軍司令官などを経て13年大将、朝鮮軍司令官、15年参謀総長、昭和5年予備役。6年帝国在郷軍人会長、7年枢密院顧問官。

没年月日
昭和15年2月20日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「鈴木荘六」の解説

鈴木 荘六
スズキ ソウロク

明治〜昭和期の陸軍大将 枢密顧問官。



生年
元治2年2月19日(1865年)

没年
昭和15(1940)年2月20日

出生地
新潟県

学歴〔年〕
陸士(第1期)卒,陸大卒

経歴
明治24年騎兵第4大隊付、27年同中隊長で日清戦争に従軍、日露戦争には第2軍参謀。41年参謀本部作戦課長、次いで騎兵第3旅団長、騎兵監。大正8年第5師団長、ロシア革命干渉でシベリアに出征。台湾軍司令官などを経て13年大将、朝鮮軍司令官、15年参謀総長、昭和5年予備役。6年帝国在郷軍人会長、7年枢密院顧問官。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「鈴木荘六」の解説

鈴木荘六 すずき-そうろく

1865-1940 明治-昭和時代前期の軍人。
元治(げんじ)2年2月19日生まれ。日清(にっしん)・日露戦争に従軍。陸軍参謀本部作戦課長などをへて,大正8年第五師団長としてシベリア出兵にくわわる。12年台湾軍司令官,13年陸軍大将,朝鮮軍司令官。15年参謀総長となる。のち帝国在郷軍人会会長。昭和15年2月20日死去。76歳。越後(えちご)(新潟県)出身。陸軍大学校卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「鈴木荘六」の解説

鈴木 荘六 (すずき そうろく)

生年月日:1865年2月19日
明治時代-昭和時代の陸軍軍人。大将
1940年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の鈴木荘六の言及

【忠魂碑】より

…日露戦争前には記念碑,招魂碑と呼ばれるものが建てられたが,忠魂碑として日本全国に普及していくのは日露戦争以後のことで,大正・今上天皇の即位記念事業として,市町村の在郷軍人分会が献金を募集し,小学校の一角に建立したものが多い。碑文題号の揮毫(きごう)者は帝国在郷軍人会会長の一戸兵衛や鈴木荘六の例が多く,除幕式は慰霊祭を兼ねて3月10日の陸軍記念日に挙行された。日中戦争がはじまると,1939年7月に大日本忠霊顕彰会が発足し,その指導によって戦死者の遺骨を納めた忠霊塔を各市町村に1基ずつ建設するようになった。…

※「鈴木荘六」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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