鋸匠町(読み)のこぎりかじまち

日本歴史地名大系 「鋸匠町」の解説

鋸匠町
のこぎりかじまち

[現在地名]相馬市中野なかの 反町前そりまちまえ北反町きたそりちよう

反町と称される地の西の一二五間の通りで、北と東は北反町に接する。通りの北側のみの片側町で、南は中野村の田畑であった。初め歩卒の宅地とされたことから歩卒ほそつ町とよばれたが、のち染工・木挽・蓆工・銃工などの職人町となる。家数は幕末に二三戸となっている(以上「奥相志」など)。当町にあった羽黒派修験の日光院は、同書に「羽黒派修験道三郡の本寺」と記され、三郡とは宇多うだ郡・行方なめかた郡・標葉しねは郡のこととされる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報