翻訳|alchemy
字義どおりには卑金属から貴金属,とくに黄金を製造する術をいい,さらに不老長寿の薬や万能薬を作る術をも含んで用いられる。一般に,ヘレニズム時代のアレクサンドリアにおいて,古来の冶金術,染色術とさまざまな宗教・哲学思想が結合されて生まれたと考えられており,ヨーロッパ,アラビアで高度の発展をみた。従来,詐術の一種あるいはせいぜい近代化学の前史をなす克服されるべき擬似科学と考えられてきたが,今日では,単なる物質操作・薬物調合の技術にとどまらない,体系的な思想と実践とを具備した独自な世界解釈の枠組みとする見方が有力である。また錬金術的な思想と実践は,上記の文化圏のみならずインド,中国(さらにはその影響下で朝鮮)にもあり,とくに中国では〈練丹術〉の名で知られる。これについては同項を参照されたい。
化学chemistryの前史には錬金術alchemyがあった,といわれる。またそのalchemyという語のal(アラビア語の定冠詞)からすると,錬金術はそれを表す語al-kīmiyā’とともにアラビアに由来するとも考えられる。さらにJ.ニーダムのようにalchemyを中国語の〈金〉と結びつける論者もいる。しかし,この起源は遠くおもに古代エジプトと古代ギリシアに求めるのが穏当であろう。chemy(=chemistry)の起源をめぐっては,資料を文献の上から提示しているゾシモス(3~4世紀)がchem(khem)という言葉のエジプト語起源を,オリュンピオドロスOlympiodōros(6世紀)はchymeia(chēmeia)というギリシア語起源を示唆している。
錬金術では,エジプト語のkhemet(黒い土)という言葉のもつ神秘性,万物がそこから生まれる聖なる始源という意味が重要である。古代ギリシアでも,ヘシオドス(前700ころ)の創世神話に登場する始原のカオス(混沌)は幽冥の世界であった。そしてそこから生まれる暗黒のニュクス(夜)が光り輝く神的な宇宙秩序の母だとすれば,ここでも暗黒はすべての〈初め〉として畏敬を払われていたことになる。錬金術は,こうしてエジプトでは暗黒の死からよみがえる密儀宗教の最高神オシリスの神話に結びつき,オシリスは変幻の妙ある黒い金属,鉛と同一視された。錬金術は,一般に卑金属から貴金属が精製されていくプロセスを扱う〈大いなる術(オプス・マグヌムopus magnum)〉だといわれるが,卑金属としての鉛は,その変幻性とあいまってきわめて重要な神性をそなえた金属であった。ギリシア語のchymeia(金属溶融の術,合金術)が示すとおり,例えば鉛鉱石(実は銀を含んでいるもの)から灰吹法により白く輝く銀が流れ出してくるところから,自在な金属の転換を目ざす術が探求され,これがヘレニズム時代の宗教・哲学思想と結びついた。こうして,エジプトのアレクサンドリアを中心に,前3世紀ごろから錬金術思想が定着しはじめた。
まわりをとりかこむ赤茶けた不毛の土地とは対照的な大河ナイルのもたらす豊饒のシンボルとしての黒土,こういう〈黒〉から出発する〈大いなる術〉としての錬金術は,また一般に〈ヘルメスの術(オプス・ヘルメティクムopus Hermeticum,ヘルメティカHermetica)〉,ないし〈ヘルメス=トートの術〉とも呼ばれた。トートはエジプト古来の技芸をつかさどる神で,死者の魂の導き手,ヘルメスはギリシア神話の神々の使者であり,かつ死者の魂を地下のハデスへ導く神(プシュコポンポス)でもあった。素朴な男根崇拝から出発したともいわれる石柱ヘルマイに刻まれているように,実りのシンボルともされたヘルメスは,やがて豊かな地下の知恵と天上の神々の知恵をあわせもつ存在と考えられるようになった。両神の習合がヘレニズム時代に進み,アレクサンドリアを中心に,ヘルメスという名を冠する者たちがあらわれて〈ヘルメス=トートの術〉を伝授した。現存する〈ヘルメス文書〉(3世紀)に出てくるヘルメス・トリスメギストス(〈3倍も最も偉大なるヘルメス〉の意。ロゼッタ・ストーンには単に〈偉大なる〉が2回くり返されているのみ)がこの術の始祖とされ,やがて3世紀ころには最高の知恵の所有者として崇拝されるようになった。
例えば,バビロニアの前13世紀にさかのぼる文献は,すでに銅鉱石から銀をとり出す製法を伝えている(文献上ではなく,実際上のものはさらにずっとさかのぼると考えられる)。この方法は一種の秘儀的な意味をもっていた。また《ライデン・パピルス》や《ストックホルム・パピルス》(ともに後3世紀ごろ。ただし内容的には前2~前1世紀にさかのぼる)における処方には,錬金術上の金属精錬技術を思わせる記載がみられる。カドミア(銅,亜鉛,砒素などからなる酸化物の混合物)をまぜて金を増殖したり,水銀と金のアマルガムでめっきする方法などがそれである。しかしいわゆる錬金術文献上にはっきりした形で登場する最初の錬金術師は,上述のゾシモスである。錬金術の一種の〈技術百科事典〉というべき著作を書いた彼の証言によると,すでにより古い著作家たち,いわゆる〈偽デモクリトス〉やユダヤ婦人マリアなどの錬金術師像が浮かび上がり,例えば偽デモクリトスの錬金術書が前3世紀ごろに書かれたものと考えられることからすると,いわゆる〈初期ギリシア錬金術師たち〉は,前3世紀から後7世紀にかけてギリシア語で著作した人たちだったことがわかる。
彼らの金属変成の理論は,物質変成の理論を唱えるデモクリトス(前5世紀)の原子論や,アリストテレス(前4世紀)の元素観から採られたものである。また,実際的な金属変成の職人であり神秘思想家でもあった錬金術師たちが注目したのは,金属の色の変化であった。彼らは,染色の技法を金属に適用し,始原の神秘な〈黒〉から〈白〉へ,〈白〉から〈黄金色〉への3工程に,最終段階として王者の色として古くから珍重されていた〈紫〉を加えて4工程とする方法を考えた。完全性に向かうこの価値体系は,やがてキリストの死と再生の観念に結びつき,錬金術はますます宗教的色彩の強いものになった。7世紀に出たステファノスStephanosの錬金術的著作は,神への祈りの様相を深め,他方,技術理論的にはますます後退していることが認められる。
(1)アラビア 中世ヨーロッパに定着したキリスト教が,古代ギリシア思想を異端視し,錬金術も黒魔術として排斥したのに対し,7世紀に勃興したイスラム支配下のアラビア世界は,錬金術思想を受け入れた。すでに古くインドや中国でも,錬金術的なものはバビロニアとエジプトに劣らず熱心に追求されていたが,それらには不老長寿の薬剤作りの傾向が強くみられた。中間地点としてのアラビアは,結果的にはこれら東西のものをとり入れてこれを再構築する形になった。とはいっても,アラビアで大きな勢力をもったのはアリストテレスである。
アラビア最大の錬金術師ジャービル・ブン・ハイヤーン(ヨーロッパ世界での通称はゲーベル。ただし,この名がジャービル・ブン・ハイヤーンその人を指すかどうかは疑わしい)は,数千ものタイトルをもつ著作をものしたことになっているが,なかでも金属生成を理論付ける硫黄-水銀理論の展開が重要である。が,これは,明らかにアリストテレスの《気象学》第4巻の〈乾いた蒸発気〉と〈湿った蒸発気〉が原因で作られる石と金属の考えを適用したものである。両者ともに〈精〉的なものと考えられ,硫黄が前者の蒸発気に,水銀が後者の蒸発気に対応した。金属が4元素からできていることは他とかわらないが,すべての金属には霊妙な増殖作用があるとし,男女の性質(硫黄は男性,水銀は女性)がその理論に加わったことも考えられる。一方,水銀や硫黄のすぐれた医薬効果を知っていたラージー(ラテン名ラゼス)は,化学者でもあり,その《秘密の書》の中で古来のものを改良した蒸留器や炉などを用い,煆焼,昇華,燃焼,溶融などの化学的操作をとおし,強酸,礬類または塩,さらに〈精〉などを作ろうとした。なかでも〈精〉,つまりすべてをつらぬき不完全なものを完全化する霊妙な物質の探究は,〈エリクシルelixir(錬金薬)〉(アラビア語al-iksīrに由来し,英語読みではエリキサー)作り,すなわち金属の粗悪さを治すとともに,人間の病気をも治す特異な薬剤の探究に向かった。
さらに10~13世紀にかけて,イブン・シーナー(ラテン名アビセンナ),イラーキーal-`Irāqīなど,医化学に興味をもつすぐれた哲学者たちがたくさん輩出した。〈精〉について記述した《エメラルド碑板》という作者不明の短い文書も見逃すわけにはいかない。〈上のものは下のもの,下のものは上のもの……〉という謎めいたアラビア語で書かれた完全無欠な〈精〉は,ヘルメス・トリスメギストスの教えるものであり,錬金術師は,この〈精〉を〈賢者の石(哲学者の石)〉〈凝固したプネウマ〉としてとり出すことを願った。これがまたアリストテレス以来の第五元素の観念と結びつくことになる。
→アラビア科学
(2)後期中世ヨーロッパ 中世ヨーロッパのキリスト教は,はじめのうちはギリシアやエジプトの知恵を異端として排除したが,社会組織が整うにつれ,〈自然の光〉,自然界の知恵である哲学と科学技術を求めるようになった。神の創造した自然の秘密をさぐる試みは,石の力の探究,染色や絵具の製造,火による金属の処理の探究に向けられた。この方面の書物は数が少ないが,11世紀ごろからあらわれはじめる。これらはアラビアの影響を受けないものだったが,シチリア島やイタリア南部やスペインにおけるアラビア文化との接触は,この分野でははるかに長じていたアラビア世界から多くのものをとり入れることになった。仲介の労をとるユダヤ人学識者たちの手助けもあり,アラビア語文献のラテン語への翻訳が大いに進められ,12~13世紀には,錬金術思想への関心がヨーロッパで異常に高まった。R.ベーコン,アルベルトゥス・マグヌス,トマス・アクイナスなど当時のキリスト教会の最も偉大な聖職者たちの心も,錬金術思想に強くとらえられた。これまでは排斥されていたアリストテレス哲学が,神的な自然の光を理解させるものとしてキリスト教世界に受容され,その第五元素の考え方は,天界のものが地上に深く及んでいるという錬金術特有の発想とあいまって,クインタ・エッセンティアquinta essentia(〈第5のエッセンス〉の意。英語ではquintessence),つまり,ものの〈精髄〉として重要視された。
ベーコンもさることながら,ライムンドゥス・ルルスは,アラビア語にたんのうな注目すべきキリスト教徒で,超自然の神学と自然の哲学とを一つのものにしようと努力した。彼は,キリスト教の神人思想を,錬金術的な霊妙な物質,つまり,第五元素という最も活動力のあるもので説明したとされる。ルルスの諸論文といわれるものには,実際の金作りが扱われるよりも,たびたび登場するのは〈生きている銀〉としての水銀であり,これは永遠に活動する生命力の象徴だった。昇華力をもつ水銀によって象徴されるものは,まさに〈精〉である。ブドウがブドウ酒となり,さらに蒸留されて強力な〈燃える水(アクア・アルデンスaqua ardens)〉となる事実,それにともなういろいろのアルコール蒸留はすでに12世紀ごろには認められ,アルコールは13世紀には薬として使用されはじめた。アルナルドゥス・デ・ウィラノウァは,14世紀のはじめにこの水を記述し,その治癒的な力を賞賛した。彼のほかに,後のパラケルススの医化学に道をひらく人文主義的な錬金術的医学思想は,B.ウァレンティヌス,ルペスキッサのヨハネスJohannesたちによって,14~15世紀に用意された。
徐々に蓄積された自然哲学思想の炎が,12~13世紀の〈ルネサンス〉ではかなり燃え上がったが,爆発的に燃焼したのは,何といっても真のルネサンス期といえる15~16世紀で,まずはイタリアに,錬金術,占星術,自然魔術,さらに天文学,力学,医学,文学などへの知的欲求が盛んにおこった。そのきっかけの一つに,15世紀中葉のM.フィチーノによる〈ヘルメス文書〉その他一連の古代神秘的文書の翻訳がある。しかも人間精神の現世的な目ざめは,イタリアを越えてヨーロッパ各地にひろがり,人文主義精神が高揚した。16世紀の錬金術的医師パラケルススとその信奉者たちは,〈錬金術の効用は,黄金を作ることにはなく,医薬を作ることにある〉をモットーに,人間の病気を治す医薬の研究に力を注いだ。ここには単に個人の不老長寿を願うというよりも,人間愛の精神が底流にあることを忘れてはなるまい。ともあれ,パラケルススの医化学思想は,鉱物薬品の製法に向かい,自然の諸物に内包されているあの第5のエッセンスである〈精〉をとり出す方法をさらに発展させ,金属に関する水銀-硫黄のアラビア錬金術の理論を万物に適用して,キリスト教の三位一体的な水銀-塩-硫黄の3原理論を展開した。
ドイツ,さらにフランス,イギリス,オランダなどに浸透した錬金術思想は,宗教,哲学,文学,化学技術その他のさらに大きなるつぼとなり,M.マイヤー,J.ベーメ,N.フラメル,ノートンThomas Norton,リプリーGeorge Ripley,E.アシュモール,J.B.vanヘルモントなど多くの逸材が輩出した。そればかりか,その後に近代化学や近代力学を確立したイギリスのR.ボイルやニュートンらの精神も,錬金術思想が内蔵する深い知恵で養い育てられた。しかし錬金術思想は,方法論においてはるかに明確な近代物理化学の現実的・技術的な力には抗しきれず,その後は人間精神の深層に退き,むしろ芸術の分野に霊感を与えることになった。しかし人間の知恵をその内奥において統合する錬金術思想は,われわれ人間の中に陰に陽に息づきながら今日に至っている。
人間は,石器の時代から,青銅器,鉄器の時代へと進み,技術開発によってこの地球上に覇を唱えるようになった。石器→青銅器→鉄器というこの変遷は,そのまま人間の富と権力の増大を象徴するものでもあった。鉄が登場したとき,この金属のすぐれて堅固な性質は,青銅の武器を打ち破って常勝の途を進んだ。鉄がやがて安く生産されるようになると,この鉄で民衆が武装することにより,例えばギリシアでは青銅器時代の少数支配の王政が倒され,民主政に道が開かれた。金属の技術史は,このようにより進んだものを数多く所有する人たちに力を与えた。こういう時代背景を考えないでは,錬金術の歴史を語ることは確かにできないであろう。金という富と権力の象徴的な最高金属の製造は,一義的にはとうてい考えられない。しかし錬金術の実験技術をとおして得られたものは,例えばすぐれた化学装置,器具類であり,これらがいわば副産物的に後世に遺産として残され,それがせめてもの功績といえるものだ,というような技術的・実用的な考え方だけに終始するならば,これもまた錬金術の本質を見失わせるものであろう。
真の錬金術思想には,前述したように,宗教・哲学・科学技術の知恵が渾然一体に融け合い,それによって一方では知的技術的開発の営みがなされ,他方では実に敬虔な自己抑制の祈りがなされてきた。このような事情はH.クーンラートの祈禱実験室(図(2))が示すとおりである。およそ知的な探究心は,どこまでも先へ先へと真実を求めて進んで止まることを知らぬ攻撃性をそなえている。それゆえわれわれは,知恵の木の実を食べた人間の,いわばまかり間違えば再三呪われることになる前進的遠心的知力(science<scio〈知る〉)を,抑制的求心的知恵(control-science→conscience〈良心〉),すなわち内奥の神の知恵,賢者の知恵,自然の知恵によって絶えずチェックしなければならない。絶えざる祈りの中で,いわば密儀宗教的自己欲望滅却の秘儀参入をあえてする錬金術が,このような真摯な営為の一例を過去にみごとに示したことに着目しなくてはならない。精神的神人合一の考えがそこにはあり,人間の生と死と再生,暗黒と光,混沌と秩序をめぐる深い知恵がそこにみられる。
現代のサイクロトロン装置は原子崩壊をひきおこし,物質変換の可能性,いわば現代における錬金術の存立可能性を人工的に実証した。が,現実的成果のみに目を奪われるのではなく,現代科学技術の基盤の深部には,これまでのすぐれた錬金術思想の歴史があることを忘れず,謙虚に人間精神全体の偉大と悲惨の両極一如を再認識する必要があろう。そして暗黒とか悲惨が単に否定的なものではなく,たえざる生産の契機でもあること,それに反し光明や偉大は,ともすれば富と権力の獲得に走りやすいこと,傲慢の果ての恐ろしい破局にさらされかねないことを肝に銘ずべきであろう。
執筆者:大槻 真一郎
日本語では錬金術と化学とはまったく違う。とくに〈錬金術〉という字の構成から受ける印象からすると,それはまったく無意味・非科学的な神秘主義か,ためにする詐術であり,化学は近代科学の一部として,合理的な学問分野であることになる。しかしヨーロッパにおける錬金術に当たるalchemyなどには本来金を作り出す術の意味はないし,アラビア語からの転化であるこの語のなかのalは冠詞であることを考えれば,chemyの部分は,ドイツ語やフランス語の〈化学〉と同じである。つまり,ヨーロッパの歴史のなかでは,錬金術と化学との関係は,一方を非科学的・非合理的,他方を科学的・合理的として截然と分けることが,もともとできないような性質のものであった。
それは,単に錬金術の伝統のなかで,物質の変成過程が追究され,またそのために,多くの器具や装置が考案されたことが,科学的な化学を築く土台となったというだけにとどまらない。例えば16世紀ヨーロッパにおいて,大学のなかで教えられる知識体系の根幹であったアリストテレス主義を反キリスト教的として決然と退け,また訓詁的な文献注釈こそが学問であると考えられていた知識方法論にもはっきりと決別して,真にキリスト教的でかつ真に実証的な学問の追究へと,大学を改革しなければならない,という改革運動を熱心に提唱したのは,パラケルススからヘルモントにいたる錬金術師たちであった。彼らが,古典文献に執着するのをやめ,自然が示す現象そのものからのみ学ぼうとしたこと,さらにはヘルモントのように,定量的な方法と組織された実験とを知識収集に当たって意図的に採用したこと,これらの点は,現在の視点からみれば明らかに〈科学的〉であり,彼らのいうchemistryを〈化学〉と訳すことに何の困難もないようにさえみえるのである。
しかし一方において,彼らはつねに,新しいキリスト教的自然観の樹立こそを最終目標とし,神の宇宙創造をchemicalな過程と同一視することによって,chemistryを自然解読(と神の言葉の解読)のための最も直接的な手段とみなした,というような点では,およそ〈科学〉からは遠く,まことに〈錬金術〉的であったともいえる。こうした人々の知識改革運動のなかから,通常は合理的・科学的な〈科学者〉に分類されるボイルやニュートンが生まれており,彼らもまた,その意味でのchemistryに深くかかわっていた,という事実をあわせ考えるとき,錬金術と化学とは,少なくとも歴史的文脈のなかでは,安易に分離することのできないような関係をもつものとして,きわめて慎重な扱いが望まれることがわかるであろう。
→魔術
執筆者:村上 陽一郎
錬金術文献はテキスト,挿図ともに象徴や寓意に富み,表現をめぐる実験的試みとして当初から芸術的要素を含んでいた。例えばルネサンス期の文芸に決定的影響を与えたG.リプリーの錬金術文献《錬金術の複合》(1591)や《十二の門》(1766)などは難解な寓意詩になっている。とくに薔薇十字団の啓蒙運動の中心地となった17世紀のイギリスには,リプリーの詩やJ.ディーの哲学書に影響された文芸が急激に出現している。シェークスピアの《リア王》は艱難辛苦が人間を完成に近づけることを錬金術のメタファーに従って物語り,《あらし(テンペスト)》はディーの魔術師としての側面を戯曲化したものといわれる。この傾向は真正な薔薇十字主義者J.V.アンドレーエにもみられ,彼に帰せられる《化学の結婚》は錬金術の奥義をそのまま物語化したものである。また詩人H.ボーンと兄弟であった錬金術研究者T.ボーンも詩による錬金術思想の理解と表現法を探究した。しかしその一方,錬金術を単なる詐術とみなした風刺家たちが錬金術師を痛烈に批判する戯曲を書いていた。たとえば,B.ジョンソン《錬金術師》やJ.リリー《ガラテア》がその代表作として知られている。
美術の面では〈エンブレム・ブックemblem book〉と呼ばれる寓意図集の制作の流行を背景に,語句よりもむしろ図像によって錬金術の奥義を伝えようとする象徴的図版も多数生みだされた。この面に尽力したR.フラッドやM.マイヤー,またJ.D.ミューリウスなどの著作には,美術的に興味ぶかい寓意図が掲載されている。C.G.ユングはこれらの錬金術文献を夢想と無意識的イメージの観点から分析し,大著《心理学と錬金術》を著し,金属変成の過程が魂の浄化,心理的発展の過程のメタファーであることを説いている。また黒から黄金へと進展する錬金術の色彩論は,すでに大聖堂のばら窓など宗教的装飾にも使用されていたが,〈光の形而上学〉や光学とも結びつき,色彩的象徴体系として独自の発展をみるに至った。
ロマン主義の時代にはいるとドイツで多数のメルヘンが書かれ,フケーの《ウンディーネ》のように,パラケルススが錬金術的表象として創作した水の精が主人公に登用される作品もあらわれた。ノバーリスは《青い花》,ホフマンは《悪魔の霊液》,ゲーテは《ファウスト》に錬金術への関心を示している。ゲーテはG.ブルーノの思想や錬金術を熱心に研究しており,その《色彩論》にも錬金術の間接的影響を認めることができる。フランスでは,錬金術と結びついた色彩象徴を詩作に用いたA.ランボー,〈黒い太陽〉という錬金術的イメージを主題の一つに据えたG.deネルバル,《セラフィータ》で両性具有の神秘を描いたバルザックやJ.ペラダンなど無数の詩人や作家があらわれた。ボードレールやのちのA.ブルトンもその影響下にあった詩人である。彼らの霊感の大きな源泉の一つがÉ.レビの一連の著作であった。イギリスではブルワー・リットンが出て,《不思議な物語》ほか錬金術師を登場させた小説を執筆した。アイルランドのW.B.イェーツには《錬金術の薔薇》をはじめ錬金術的寓意にいろどられた作品がある。20世紀にはいると錬金術を目だった形で芸術に導入する試みはとだえるが,モンドリアンやカンディンスキーらの抽象芸術には,より思弁的な錬金術の象徴性が生かされている。
→化学 →四大[四大の変容] →ヘルメス思想
執筆者:荒俣 宏
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
錬金術を意味する英語のアルケミーalchemyは、アラビア語のアル・キミアal-kimīaに由来し、さらにこの語は、ギリシア語で金属鋳造を意味するキュマchymaにさかのぼり、そのまた原語は古代エジプト語で黒色を意味するケメkēmeであるとされている。
もともと錬金術の本質は、思弁的、神秘的、宗教的な色彩と、実際的、技術的な色彩とが混ざり合って、広くヨーロッパに普及した(なお、東洋では古くから中国で長命薬の発見を意図した錬丹術(れんたんじゅつ)が行われていた)。錬金術がヘレニズム時代に盛んになったが、そのきっかけは、アリストテレスが唱えた四元素(火・空気・水・土)と四性質(乾・湿・寒・温)との関連説である。それによると、四元素のそれぞれは、共通する性質を一つずつ有している。火は温と乾、空気は温と湿、水は寒と湿、土は寒と乾である。そしてたとえば、火は温の媒介によって空気になり、空気は湿の媒介によって水になるというぐあいである。そしてアリストテレスのこの説から、ヘレニズム時代の一部の学者たちは、あらゆる物質は四元素からできているから、物質の四性質の割合をさまざまに変えることによって、いろいろな金属ができるはずであると考え、卑金属(銅、鉄、鉛など)からも貴金属(金、銀)がつくりだせるはずであると主張した。
初期の錬金術思想には、プラトン、アリストテレス、新ピタゴラス派、グノーシス派、ストア哲学、宗教、占星術、俗信などが入り混じっており、また象徴主義とか寓意(ぐうい)的表現による難解さもあった。しかしその一方で、錬金術の技術面では、金属を、黒色化→白色化(銀)→黄色化(金)→イオシス化(理想的な金属)という順序で貴金属化することが考えられ、実験用のさまざまな蒸留器や昇華器、温浸器などが発明された。
中世のイスラム世界では、ヘレニズムの伝統を受け継ぎながら、独自の特色を打ち出した。たとえば、8世紀のジャービル・ビン・ハイヤーンは、物質を「精」(樟脳(しょうのう)、水銀、ヒ素、硫黄(いおう)など揮発性のもの)、「金属体」(金属)、「物体」(不揮発性で粉末状になる固体、つまり精や金属体以外のもの)に分類した。そして錬金術作業上、不可欠なものとして「エリキサ」(賢者の石)があるとした。この妙薬を発見するために以後の錬金術師たちは、懸命に、しかしむだな努力を払った。とはいえ、12世紀までに化学薬品としては、新しく、ろ砂、アンモニア、鉱酸、ホウ砂などを発見したが、その調剤術や冶金(やきん)術は、ごく簡単な搗砕(とうさい)、濾過(ろか)、煮沸、融解にすぎなかった。
中世ヨーロッパのキリスト教文化のなかにもイスラム世界から錬金術が入ってきた。その当時のラテン語訳の書物の読める一部の聖職者たち(A・マグヌス、T・アクィナス、R・ベーコンら)が錬金術に興味を寄せた。しかし彼らの錬金術への対応は、「条件付きで認める」「ほんのすこしの関心」「錬金術の可能性を信じる」とさまざまであった。こうして中世の人たちは、錬金術に潜む一種の神秘性や、卑金属を貴金属(金)にしたいという卑俗な物欲とも絡み合って、その魅力にひかれたが、錬金術を知った人たちのだれもがそのとりこになったわけではない。一般にカトリック教会は錬金術に反対の立場をとり、とくに教皇ヨハネス22世(在位1316~1334)は教令を発して錬金術を禁じ、錬金術師やその扇動者を処罰すると宣言し、またシャルル5世(在位1364~1380)は、1380年に錬金術操作に必要な器具類の所有を禁じた。イギリスの作家チョーサーはその『カンタベリー物語』で錬金術師をおもしろおかしく痛烈に皮肉っている。一方、錬金術に賛成し、支持した者のだれもが、錬金術の科学的な本質を把握していたわけでもないし、当時、そのような認識ができるはずもなかった。それは後世の17世紀のニュートンでさえ、錬金術に対して強い関心をもって真剣に考えていたことからも明らかであろう。中世のめぼしい錬金術師(またそう考えられた人物)に次の2人がいる。
その1人はスペインのスコラ学者ルルスである。彼自身は錬金術に不信を唱えたといわれるが、80編に及ぶ錬金術に関する書が彼の名で発表されている。それらは彼の死後に出されており、おそらく彼の後継者が、彼の神秘的傾向を助長するために書いたものであろうとされている。これらの著書の特色は、錬金術の原理や材料や操作をアルファベットで記号化し、さまざまな手順は、これらの文字をさらに組み合わせて示している。そして金属を白色化(銀)したり、黄色化(金)することを述べているが、もっとも重視したのは第五元素(精spiritus)で、これを新しく発見されたアルコールに適用している。「もしも海水が水銀でできているならば、私は海を金に変えてみせる」ということばはルルスのいったこととされている。いま1人は中世キリスト教世界の錬金術の重要な書である『金属貴化秘術全書』Summa perfectionis magisteriiの著者とされるゲーベルである。ゲーベルとはジャービル(・ビン・ハイヤーン)のラテン名ではあるが、8世紀のジャービルとは関係なく、『金属貴化秘術全書』は13世紀後半から14世紀初めにイスラム世界で書かれたものであろう。この書には、金属変換の可能性の信念への反対に対する反論、金属の自然の原理、金属は硫黄と水銀からつくられること、金・銀・鉛・錫(すず)・銅・鉄の六金属のそれぞれの定義と性質、さまざまな化学操作の方法、薬剤またはエリキサによって金属を変換させるための準備、金属変換の成功か失敗かを確かめる分析法などが述べられている。
中世には、錬金術に関する象徴的な絵が、おびただしい数で現れてくる。結婚(金属の結合)や、卵や妊婦の部屋、物質がふ化する容器など、さまざまな類推図が残っている。
ルネサンス期になると、錬金術の研究はますます盛んになり、社会的にさまざまな波紋をおこすようになる。当時の画家たちの作品にも、錬金術に関するいくつかの作品があるが、なかでもブリューゲルが、人間の愚行を描いた作品は有名である。それは、錬金術の達人の家の中の情景を描いており、錬金術師の心の状態も反映している。空の財布を持った妻、2人の助手の作業、食べ物を求めて食器棚をあさっている子供たち、そして屋外では修道女が貧しい錬金術師の妻たちを慰めている。この作品は誇らしい錬金術師の絵とは反対に、実りのない学問や愚行と困窮を示している。
16世紀のいわゆる科学革命の時代になると、それまで根強く支持され続けてきた錬金術は、最盛期を過ぎて、思弁的・神秘的な色彩は消え始め、それにかわって新しい思想が注入され、化学という科学の新分野が芽生えてきた。化学の誕生には、錬金術的な思想や目的、実験法などが無関係であったが、錬金術で使用した薬品類や実験器具類の多くが役だった。錬金術から化学へ移行する過渡期を象徴する最初の人物としては、オランダのファン・ヘルモントをあげることができる。
錬金術は「にせ」科学であった。そしてこの「にせ」科学は、初めから相反する二つの触手をもっていた。一つは科学的真理に近づこうとする触手であり、もう一つは無意識にしろ詐欺(さぎ)と握手しようとする触手である。しかし人々は長い間、この2本の触手を区別することができなかった。錬金術の誕生と死滅は、人間の無知と欲望、またその克服の反映であった。
[平田 寛]
『F・S・テイラー著、平田寛・大槻真一郎訳『錬金術師』(1978・人文書院)』▽『平田寛著『錬金術の誕生』(1981・恒和出版)』
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
非金属を化学的操作によって貴金属に変換させることを目的とした技術。イスラーム,インド,中国で盛んであり,ヨーロッパに伝わって17世紀まで流行したが,近代自然科学の進歩とともに衰退した。中国では不老長寿の薬をつくる煉丹術とともに道教と結びついた方士が硫化水銀である丹砂を変化させて金丹(きんたん)と呼ばれる物質を練成することで発達した。イスラームでは,ギリシアやエジプトの錬金術を融合して成立した。その中心人物ジャービル・ブン・ハイヤーン(721頃~815頃)の錬金術は実験化学の性格を備え,のちにヨーロッパへ伝えられて近代化学の発達に大きく貢献した。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
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… アラビア世界ではギリシアの科学一般が尊重された。chēmeiaはアラビア語ではal‐kīmiyā’(alはアラビア語の定冠詞)となるが,この語は後にヨーロッパに受け継がれ,英語ではalchemy(錬金術と訳されることが多い。これに従事する人はalchemist錬金術師という)と呼ばれるようになった。…
…実験は,化学物質の構造や性質を知るために最も適当と考えられる条件下に研究対象の物質を置き,その物質から得られる応答を記録・解析する操作である。錬金術の時代以来,実験の多くはなんらかの化学反応を伴うため,ビーカーや試験管などの器具の使用や加熱,蒸留といった操作は化学を特徴づけた。このとき,化学の研究は必ず実験台での実験を伴うものと考えられていた。…
…最もよく知られているカドゥケウスは,ヘルメス神の持物で,ヘルメスはこの杖を印として冥界・地上界・天界の間を往復し,神々の相互の意思や,とくにゼウスの命令を伝える伝令の役割を果たした。後にヘルメスがエジプトの神トートと習合して錬金術の神ヘルメス・トリスメギストスとなると,この杖は天と地,太陽と月,男性と女性,硫黄と水銀などの対立物を統合して,完全な金属である黄金を作る超越的な力の象徴ともなった。杖【秋山 さと子】。…
…これは後世のヨーロッパの薬局の原形となったといわれている。しかし,この時代の特色として忘れてならないことは錬金術の発展である。これについても,アラブ世界の貢献は大きい。…
…〈哲学者の石〉ともいう。賢者・哲学者はともに錬金術師の意。錬金作業の最終段階で析出すべき概して赤色粉末状の物質で,卑金属を金に変え,金の量を無限に増やすなどの変成能力をもつとされた。…
…しかし,アリストテレスは物質の3態には注目したが,その状態をとる物質の種類は問題にしていない。現在,化学元素として問題にされているのは,この物質の種類であり,これは中世錬金術に至って,ようやく対象とされたのである。 中世の錬金術では,アリストテレスの思想に従って,物質の相違はその元質に付与された性質の差によると考えられていた。…
…各元素は固定的な実体ではなく,相互に流動,変化,循環を行い,その対立や調和が自然の理法をなす。このような性質に従い,各元素の属性の配合を人為的に変えることで物質変容を促進しようとしたのが錬金術である。四大の象徴性は時代とともに多層化し,占星術では人体を構成して気質を決定する四体液や四季と関連づけられ,黄道十二宮に配合された。…
…ともかく貨幣のあるかぎり,贋金もまた跡を絶たないかも知れぬが,同時にそれによってもうけることも不可能とされている。【西村 潔】
[西洋]
紙幣流通以前の贋金づくりcounterfeiting(forgery)は贋黄金の製造が中心であり,技術的には錬金術が悪用された。金の品質を落として増量する技法や金めっきは,すでに古代エジプトで知られており,贋金の流布が目に余った古代ローマ時代には,ディオクレティアヌス帝が錬金術を含めて293年にこれを禁圧したほどである。…
…ヘルメス・トリスメギストスと呼ばれるヘルメスとトートの習合神の教えと信じられた西洋の思想的伝統で,紀元前後ころ多分エジプトで成立したと考えられる。秘教として受け継がれ,ヨーロッパおよびイスラム圏で占星術および錬金術の哲学として研究され,後者ではシーア派イスラム神学と結びついて展開した。とくにルネサンス時代にイタリアで《コルプス・ヘルメティクム》が翻訳刊行されて人々に大きな影響を与え,中でもコペルニクス,W.ギルバート,ケプラーなど近代科学の創始者たちに信奉されて近代科学成立の一つの契機となった。…
…復活のキリストはその先駆けであった。両性具有をシンボルとする玄義は,グノーシス主義や錬金術にも濃厚である。特に錬金術のシンボリズムは一種の汎性論ともいうべく,太陽,火,硫黄を男性,月,水,水銀を女性とし,錬金作業を両性の婚姻としてとらえた。…
※「錬金術」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
〘 名詞 〙 年の暮れに、その年の仕事を終えること。また、その日。《 季語・冬 》[初出の実例]「けふは大晦日(つごもり)一年中の仕事納(オサ)め」(出典:浄瑠璃・新版歌祭文(お染久松)(1780)油...
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