鏑木清方(読み)かぶらききよかた

精選版 日本国語大辞典 「鏑木清方」の意味・読み・例文・類語

かぶらき‐きよかた【鏑木清方】

日本画家。東京出身。本名、健一。浮世絵水野年方に学び、明治・大正人物風俗を精細な考証と清新な画風表現作品「築地明石町」「三遊亭円朝」など。明治一一~昭和四七年(一八七八‐一九七二

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デジタル大辞泉 「鏑木清方」の意味・読み・例文・類語

かぶらぎ‐きよかた【鏑木清方】

[1878~1972]日本画家。東京の生まれ。本名、健一。水野年方に師事し、早くから挿絵を描き、情趣豊かな明治の風俗を絵にとどめた。歌川派の浮世絵から出て、文学的教養と清新な感覚で、近代的美人画および風俗画の分野を切り開いた。随筆家としても有名。文化勲章受章

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百科事典マイペディア 「鏑木清方」の意味・わかりやすい解説

鏑木清方【かぶらききよかた】

日本画家。本名健一。戯作者条野採菊の長子として東京に生まれる。14歳のとき水野年方に入門,さし絵画家として名をあげたが,1901年同志と烏合会結成して本格的絵画に進み,翌年《一葉女史の墓》を発表。また平福百穂結城素明らと作った金鈴社は日本画界に新風を吹き込んだ。江戸の情緒を現代風俗のなかに昇華した,気品のある風俗画が定評を得た。1954年文化勲章。代表作《築地明石町》《三遊亭円朝像》など。《こしかたの記》等の随筆集もある。
→関連項目伊東深水上村松園歌川派吉川霊華美人画

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改訂新版 世界大百科事典 「鏑木清方」の意味・わかりやすい解説

鏑木清方 (かぶらぎきよかた)
生没年:1882-1972(明治15-昭和47)

日本画家。本名健一。東京の神田に生まれる。父は戯作者,小説家で《東京日日新聞》《やまと新聞》創刊者の条野採菊(じようのさいぎく)(伝平,山々亭有人。1831-1901)。1891年,月岡芳年の高弟水野年方(1866-1908)の門に入り,17歳ころから新聞挿絵を描いて知られ,尾崎紅葉,泉鏡花らに親しんだ。1901年大野静方,鰭崎英朋らと烏合会を結成し,浮世絵から本格的絵画への展開をはかり,09年《一葉女史の墓》を発表。文展時代(1907-18)に入って《墨田河舟遊》《ためさるゝ日》などの力作を出品,19年の第1回帝展からは審査員となった。昭和期に入って《築地明石町》(1927),《三遊亭円朝像》(1930),《一葉》(1940)などを発表,単なる風俗画,美人画を超えた粋の美しさ,肖像画における心理描写をみせ,さらに挿絵活動以来の文学性を画面に定着させた。一方,〈卓上芸術〉を唱えて絵巻・色紙形式の《にごりえ》《お夏清十郎物語》などを発表した。後年の《朝夕安居》(1948)は明治下町風俗を愛惜した清方芸術の集大成といわれる。《こしかたの記》をはじめ秀れた随筆集もある。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「鏑木清方」の意味・わかりやすい解説

鏑木清方
かぶらききよかた

[生]1878.8.31. 東京
[没]1972.3.2. 鎌倉
日本画家。小説家で『やまと新聞』社長の条野採菊の子で,母方の鏑木姓を継いだ。本名は健一。 1891年より江戸浮世絵派の水野年方に師事。早くから新聞,雑誌の挿絵を描き,尾崎紅葉の『金色夜叉』,島崎藤村の『破戒』,泉鏡花の作品の挿絵などで世に知られた。 1901年烏合会を結成,文展への出品を続け,14年第8回文展の『墨田河舟遊』 (東京国立近代美術館) ,次回の『霽れゆく村雨』が連続受賞。 16年平福百穂,松岡映丘らと金鈴社を結成。作品には江戸時代,明治の風俗,人物,肖像画に清新な芸術味を加えた佳作が多い。帝国芸術院会員,帝室技芸員となり,54年文化功労者。同年文化勲章を受章。主要作品『樋口一葉の墓』 (1902) ,『ためさるる日』 (18) ,『築地明石町』 (27) ,『三遊亭円朝像』 (30) ,『にごりえ』 (34) ,『一葉』 (40) 。文筆にも長じ,『築地川』 (34) ,『芦の葉』 (38) ,『こしかたの記』 (61) などの随筆集がある。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「鏑木清方」の解説

鏑木清方
かぶらぎきよかた

1878.8.31~1972.3.2

明治~昭和期の日本画家。東京都出身。本名健一。水野年方(としかた)に師事。1901年(明治34)烏合会,16年(大正5)金鈴社を結成。文展・帝展で受賞を重ね,粋な江戸文化の遺風漂う気品ある美人画・風俗画・肖像画の分野を開拓した。第8回帝展で帝国美術院賞を受賞した「築地明石町」は,近代日本画の代表的美人画として評価が高い。帝国美術院会員・帝室技芸員。文化勲章受章。「こしかたの記」など随筆集も多い。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「鏑木清方」の解説

鏑木清方 かぶらき-きよかた

1878-1972 明治-昭和時代の日本画家。
明治11年8月31日生まれ。条野採菊(じょうの-さいぎく)の子。水野年方(としかた)に師事。明治35年「一葉女史の墓」で注目される。以後,浮世絵の伝統をいかした作品を発表。文展で活躍し,帝展審査員となる。昭和12年芸術院会員。29年文化勲章。昭和47年3月2日死去。93歳。東京出身。本名は健一。作品はほかに「築地明石町」など。著作に「こしかたの記」。

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旺文社日本史事典 三訂版 「鏑木清方」の解説

鏑木清方
かぶらぎきよかた

1878〜1972
明治〜昭和期の日本画家
東京の生まれ。浮世絵師水野年方に学ぶ。新聞・雑誌に挿絵を執筆,風俗画の芸術性を高め,気品ある美人画を描いた。また明治風俗の描写でも第一人者で,1954年文化勲章受章。代表作に『築地明石町』『三遊亭円朝像』など。

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世界大百科事典(旧版)内の鏑木清方の言及

【イラストレーション】より

…また明治30年代はようやく〈挿絵画家〉が,職業としてもジャンルとしても成立した時期である。これらの雑誌では,前記の画家に加え,浮世絵系の月岡芳年門下である水野年方,右田年英,山中古洞,鏑木清方,鰭崎(ひれざき)英朋(1881‐1968)ら,日本画畑の寺崎広業,富岡永洗,松本楓湖,尾竹国観,鈴木華邨,久保田米僊らが活躍した。ことに明治末から大正にかけては清方,英朋に加え,永洗門下の井川洗厓が目立つ。…

※「鏑木清方」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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