朝日日本歴史人物事典 「長坂長閑」の解説
長坂長閑
生年:生年不詳
戦国時代の武将。実名は光堅。同時代の史料には釣閑斎とみえる。左衛門尉。甲斐国巨摩郡長坂郷(山梨県長坂町)の出身と伝えるが詳細は不明。武田信玄・勝頼父子に仕える。勝頼が織田信長に大敗を喫した天正3(1575)年の長篠合戦で,重臣が相次いで討死したのちは,跡部勝資と並んで勝頼に重用された。武田家発給文書に奉行人としてその名を多くとどめており,深く政務にかかわっていたことが知られる。しかし『甲陽軍鑑』での評判は芳しくなく,武田家を滅亡に導いた佞臣とされている。武田家の滅亡に際し,信長により甲府で誅されたといわれる。
(堀内亨)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報