長島郷(読み)ながしまごう

日本歴史地名大系 「長島郷」の解説

長島郷
ながしまごう

出水郡本土の西方に浮ぶ長島を中心に、伊唐いから島・諸浦しようら島・獅子しし島や多くの小島からなる外城。現在のあずま町・長島ながしま町の全域にあたる。鹿児島藩直轄領。郷の最北に位置する獅子島は鹿児島藩の藩域においても北端を占め、藩境・国境の島であった。南東黒之くろの瀬戸を隔てて出水郷北西大瀬戸うせど(「おおせと」ともいう。現長島海峡)を隔てて肥後国天草あまくさ下島に対している。一六世紀後半から長島諸島は薩州家島津氏の領有するところであったが、文禄二年(一五九三)同家島津忠辰が改易され、豊臣氏の蔵入地となった。同四年出水郡のうち長島諸島を含む一万石が対馬宗義智に与えられているが、このときの知行方目録には長島のうちと冠した本城(城川内)・平尾・蔵のもと(蔵之元)・さすへ(指江)・たかのす(鷹巣)・川とこ(川床)・山との(山門野)・かせと(加世堂)・ミふね(三船)・おはま(小浜)の諸村やしゝかしま(獅子島)・宮のうら(宮之浦)などがみえ、ほかに長島として小物成の塩七五石の代米一五石とある。このうち本城以下指江さすえまでと小浜は現長島町域、小浜を除く鷹巣たかのす以下が東町域である。

江戸時代の初めは出水郷のうちで、出水一〇ヵ外城の一であったが、明暦三年(一六五七)同郷から分れた(出水郷土誌)。出水郷から分離する以前、元和六年(一六二〇)の出水衆中軍役高帳(出水市歴史民俗資料館蔵)によれば、長島衆中として坂元越前守ほか一五四名がおり、衆中高は二五四石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

発見学習

発見という行為の習得を目指す学習。または,発見という行為を通じて学習内容を習得することを目指す学習。発見学習への着想は多くの教育理論に認められるが,一般には,ジェローム・S.ブルーナーが『教育の過程』...

発見学習の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android