長母寺(読み)ちようぼじ

日本歴史地名大系 「長母寺」の解説

長母寺
ちようぼじ

[現在地名]東区矢田町 寺畑

霊鷲山と号し、臨済宗東福寺派。本尊阿弥陀如来。治承三年(一一七九)山田次郎重忠が母の菩提を弔うために観勝坊を開山として建立し、初めは亀鏡山桃尾寺といい、天台宗の小寺であった。大永寺だいえいじ(現守山区)の大永寺と小幡おばた(現守山区)長慶ちようけい寺は同じく重忠の創建で、前者が長父寺、後者が長兄寺にあたる。「長」は敬称であるとともに「弔」の意でもあろう。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の長母寺の言及

【無住】より

…東国で修学後,大和の正暦寺,西大寺で法相・律を学び,帰東して鎌倉の寿福寺に参禅,さらに京都東福寺の開山円爾弁円に師事して東密を伝習するなど,広く新旧諸宗を兼学して,一宗一派に偏しない思想と学識の持主となった。1262年(弘長2)尾張の長母(ちようぼ)寺(名古屋市東区)に止住し,住職となって半世紀を送り,兼持した伊勢桑名の蓮華寺で没した。長母寺定住後は,寺院経営のかたわら,尾張・伊勢地方の教化と啓蒙的著述に専念したようで,59歳のときに成った《沙石集》10巻を第1作として,《聖財(しようざい)集》3巻,《妻鏡》1巻,《雑談(ぞうたん)集》10巻を編した。…

※「長母寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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