長溝村(読み)ながみぞむら

日本歴史地名大系 「長溝村」の解説

長溝村
ながみぞむら

[現在地名]浅羽町長溝

原野谷はらのや川左岸、浅羽輪中の北西端部に位置する。上輪かみわ一九ヵ村の一村。北は松袋井まつふくろい(現袋井市)、東は八幡やわた村など。中世長溝郷の遺称地。天正一八年(一五九〇)当地の桑原家初代九郎左衛門の長男六郎三郎が名主とされている(同年八月一九日「牧野主殿手形」桑原家文書)。慶長九年(一六〇四)七月の浅羽之庄長溝郷検地帳(同文書)によれば上田一七四筆・八町一反余、中田一〇八筆・五町四反余、下田一四〇筆・五町七反余、上畑六三筆・二町九反余、中畑五七筆・一町八反余、下畑一五九筆・五町一反余。正保郷帳には長溝村とあり、横須賀藩領。田方二二一石余・畑方八一石余、長溝ちようこう院領二石・八幡(現桑原神社)領二石。正保五年(一六四八)同藩主本多利長により新田検地が実施され、見取新田として畑一町八反余・田一町四反余、芝間新田として畑六反余が改出されている(「長溝村芝間新田帳」桑原家文書など)。慶安年間(一六四八―五二)以後の新開地について当村が注進しなかったことを八幡村が訴え出たため新開地は同村へ下されたが、これをめぐって両村の間で喧嘩が絶えなかったので、同村が長溝村へ新開地を返すこととなったという(「長溝村開発由緒書」同文書)


長溝村
ながみぞむら

[現在地名]熊本市出水いずみ五―八丁目・江津えづ二丁目

慶長八年(一六〇三)の検地帳および寛永一二年(一六三五)の地撫帳では長溝村として記載され、宝暦一一年(一七六一)の下ケ名寄帳では、一冊のなかに上・中・下長溝村が記載される。天保一三年(一八四二)の本庄手永手鑑によると、村境は上長溝村分は記載されていない。中長溝村境は東はいま村、西は田迎手永の田迎たむかえ村大井手、南は同手永の田井島たいのしま重富しげとみ境井手、北は今村ならびに国府こくぶ村境小道である。下長溝村境は東は田迎手永の所島ところじま村・上江津かみえづ村田畑、西は田井島村ならびに前牟田まえむた村田、南は重富村ならびに所島村田、北は上・中長溝村ならびに今村田である。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

メタン

化学式 CH4 。最も簡単なメタン系炭化水素で,天然ガスの主成分をなしている。また石炭ガスにも 25~30%含まれる。有機物の分解,たとえばセルロースの腐敗,発酵の際に生成され,沼気ともいわれる。また...

メタンの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android