改訂新版 世界大百科事典 「長谷川藤広」の意味・わかりやすい解説
長谷川藤広 (はせがわふじひろ)
生没年:?-1617(元和3)
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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…朱印船貿易に参加しマカオで家臣を殺され,1610年報復として長崎沖でポルトガル船マードレ・デ・デウス号を爆沈させた。この行賞に関し家康側近本多正純の与力岡本大八に金品を詐取され,これが露見しかつ長崎奉行長谷川藤広謀殺の企てが発覚して甲斐に流刑され死を賜った。【五野井 隆史】。…
…東南アジア(南蛮)産の樹木の材質部を原材とする香料の一種。香料には植物の花・実・根・葉・樹脂等のほか,動物質から鉱物まで用いられるが,なかでも古来珍重されてきたのが香木である。日本はもちろん中国にも香木は産出せず,すべて南蛮渡来である。
[歴史]
エジプトでは第5王朝(前2494‐前2345),中国でも戦国時代(前430‐前221)にすでに香炉が出現しているが,香木がたかれたのではない。中国への香木渡来は仏教とともに漢代に西域を通じてもたらされ,のちには南方から船舶により搬入された。…
※「長谷川藤広」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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