朝日日本歴史人物事典 「長谷川零余子」の解説
長谷川零余子
生年:明治19.5.23(1886)
大正時代の俳人。本名諧三,旧姓富田。群馬県多野郡鬼石町生まれ。東京帝大薬学科選科卒業。少年時より俳句に興味を持ち,上京後,明治38(1905)年に井上唖々らと七草会を結成した。長谷川かな女と結婚,長谷川姓を名乗り,号も零余子として『東京日々新聞』『ホトトギス』などに投句。大正2(1913)年から『ホトトギス』地方俳句欄選者となり,10年には『枯野』を創刊主宰した。「俳句は自然観照の文学」という立場だったが,単なる写生をいうのでないことは,のちに立体俳句を提唱したことからも明らかであろう。著書に,『近代俳句史論』(1922),『雑草』(1924)などがある。
(平石典子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報