世界大百科事典(旧版)内の長門城の言及
【長門国】より
…736年(天平8)度の正税は穀10万9730石余,穎14万5729束余,《和名抄》の記す田積は4603町余。百済の役(663)後,《日本書紀》天智4年(665),天智9年の記事によれば,長門城が築かれた。その所在地は四王司山,火の山などに比定されるが不詳。…
※「長門城」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
…736年(天平8)度の正税は穀10万9730石余,穎14万5729束余,《和名抄》の記す田積は4603町余。百済の役(663)後,《日本書紀》天智4年(665),天智9年の記事によれば,長門城が築かれた。その所在地は四王司山,火の山などに比定されるが不詳。…
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