日本大百科全書(ニッポニカ) 「長門美保」の意味・わかりやすい解説 長門美保ながとみほ(1911―1994) ソプラノ歌手。福岡生まれ。幼時をドイツで過ごす。東京音楽学校在学中にマーラーの交響曲第二番のソリストとなる。1933年(昭和8)同校卒業後、第3回日本音楽コンクールで第一位となり、ドラマチック・ソプラノとして藤原歌劇団の『ローエングリン』『フィデリオ』などにフリーで主演。第二次世界大戦後、夫の鈴木雄詞と長門美保歌劇団を結成、46年11月『蝶々(ちょうちょう)夫人』で旗あげ公演を行った。訳詩・演出も手がけ、東欧圏のオペラや、『ミカド』をはじめとする大衆に親しみやすいオペレッタの紹介、後進の育成にも努めている。[寺崎裕則] 出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「長門美保」の解説 長門美保 ながと-みほ 1911-1994 昭和-平成時代のソプラノ歌手。明治44年6月23日生まれ。昭和9年日本音楽コンクールで1位。20年長門美保歌劇団を結成し,「ミカド」「魔弾の射手」などを日本で初演。東欧のオペラを日本に紹介した功績でスメタナ賞,ポーランド芸術最高金賞。平成6年11月11日死去。83歳。福岡県出身。東京音楽学校(現東京芸大)卒。本名は鈴木美保。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例