鎌倉幕府の将軍の支配していた知行国。当時の史料上では,幕府が直接の基盤として特に強力な支配権を有していた東国の意味に用いられている場合がむしろ多いが,現在の学界では将軍家の知行国の意味に用いるのが普通であり,以下もその立場から述べる。将軍家知行国とは,将軍が朝廷から与えられた国のことで,将軍は知行国主として御家人を国司に推薦し,国衙(こくが)を支配して国衙領からの収入を取得した。その意味で関東御分国が幕府の重要な政治的,財政的基盤の一つであったことは間違いない。関東御分国の沿革をたずねると,1184年(元暦1)源頼朝が朝廷から三河,駿河,武蔵3ヵ国を知行国として与えられたのが最初である。翌85年(文治1)8月には,上の3ヵ国から三河国をのぞき,伊豆,相模,上総,信濃,越後,伊予6ヵ国を加えた計8ヵ国となり,同年末には伊予国を辞退して,豊後,下総2ヵ国を加えた。このときの総計9ヵ国が,知られる限り,鎌倉時代を通じて最大の数である。その後,90年(建久1)の頼朝知行国は7ヵ国で,1213年(建保1)の将軍源実朝の知行国は遠江,駿河,武蔵,相模4ヵ国というように減少していった。それ以外に関東御分国の全体をあげた史料はないが,断片的史料を総合してみると,鎌倉時代のほぼ全時期を通じて将軍家知行国にとどまったのは駿河,武蔵,相模と,1225年(嘉禄1)以後の越後の計4ヵ国で,そのほか,かなり長期にわたる将軍家知行国と推定されるのが遠江,伊豆,陸奥の3ヵ国であるから,常時ほぼ4~6ヵ国の関東御分国を維持していたようである。これら諸国の地域分布をみると東国が多く,関東御分国とは幕府の東国に対する強力な支配権を公家制度上からも補強する役割を果たしていたものと考えられる。
将軍家知行国の国司に推薦された人物は,初期の源頼朝の将軍時代にはもっぱら源氏一族出身者に限られ,あたかも一般御家人より一段高い家格の所有者のように扱われたが,のちに北条氏の勢力伸長とともに,これらの国司もほとんど北条氏一族の手に独占されるに至った。執権・連署がしばしば武蔵守・相模守を帯したことから,別名を両国司と呼ばれたのは,そのもっとも顕著な例であった。将軍家知行国の国司は,代官である目代(もくだい)を現地に派遣して国内を支配した。この場合,目代か,あるいは国司自身がその国の守護である例がいくつか見られるから,関東御分国の支配が,実質上は守護に代表される幕府の地方行政組織によってになわれていたことが想定される。
→知行国
執筆者:石井 進
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鎌倉将軍家の知行(ちぎょう)国。関東御領(かんとうごりょう)とともに幕府の主要な財政的基盤となった。1184年(元暦1)に三河(みかわ)・駿河(するが)・武蔵(むさし)、85年(文治1)8月には伊豆(いず)・相模(さがみ)・上総(かずさ)・信濃(しなの)・越後(えちご)・伊予(いよ)、同年12月に下総(しもうさ)・豊後(ぶんご)が次々と加えられた。しかし翌年には三河・伊予を除いた9か国となり、以後、変動・減少し、相模・武蔵などの数か国にすぎなくなった。国守には、源氏一族、有力御家人(ごけにん)が任命された。元来、国守には中央貴族が任命されていたから、これにかわって武家が国守となることは朝廷の権威を揺るがすものとなる。平氏が多くの知行国を独占して朝廷・貴族らの反発を買った二の舞を恐れ、幕府は重要な拠点に限ったのである。
[川島茂裕]
『大山喬平著『鎌倉幕府』(『日本の歴史9』1974・小学館)』
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鎌倉幕府の首長である鎌倉殿(将軍)に与えられた知行国。1184年(元暦元)に三河・駿河・武蔵3カ国が源頼朝に与えられたのに始まる。85年(文治元)末には相模・武蔵・伊豆・駿河・上総・下総・信濃・越後・豊後の9カ国が頼朝の知行国となった。その後やや減少し,幕末までほぼ4ないし6カ国であった。文治期以後幕末まで関東御分国だったのは,駿河・相模・武蔵・越後の4カ国(越後は一時期離れる)。初期の名国司(みょうこくし)は源氏一族に限られたが,のち有力御家人にも及び,やがて北条氏一族に独占される。なお幕府が特殊な支配力を及ぼしていた東国諸国を関東御分の国々とよぶこともあった。
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…義仲の滅亡後鎌倉幕府が成立し,頼朝の信濃国支配が進められた。信濃国は将軍家知行国(関東御分国)とされ,国司に甲斐源氏の加賀美遠光,目代に頼朝の腹心比企能員(よしかず)が補任され,比企能員は守護職を兼務した。鎌倉幕府が将軍独裁制から北条氏を中心とした政治へ移る過程で,1203年(建仁3)には比企事件,13年(建保1)には信濃国御家人泉親衡(いずみちかひら)の乱が起こった。…
※「関東御分国」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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