閻錫山(読み)えんしゃくざん

精選版 日本国語大辞典 「閻錫山」の意味・読み・例文・類語

えん‐しゃくざん【閻錫山】

中国軍閥政治家。日本陸軍士官学校に留学辛亥(しんがい)革命挙兵し、山西省の軍、政の両権を握り、山西モンロー主義を唱える。一九四八年以後国民党台湾政権の側に立ち、行政院長などを歴任。(一八八三‐一九六〇

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デジタル大辞泉 「閻錫山」の意味・読み・例文・類語

えん‐しゃくざん【閻錫山】

[1883~1960]中国の軍人・政治家。辛亥しんがい革命を機に、山西省の軍および政権を握った。対日戦中は蒋介石しょうかいせき協力国民政府(台湾)の行政院長兼国防部長。イェン=シーシャン。

イェン‐シーシャン【閻錫山】

えんしゃくざん(閻錫山)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「閻錫山」の意味・わかりやすい解説

閻錫山
えんしゃくざん / ヤンシーシャン
(1883―1960)

中国の軍人、政治家。山西(さんせいシャンシー)省五台(ごだい/ウータイ)県の人。1909年(明治42)日本の陸軍士官学校歩兵科を卒業。辛亥(しんがい)革命に参加。以後、民国時代を通じて事実上の山西王国を築いた。とくに1917~1927年、1932~1937年には「山西モンロー主義」を唱え、風俗改革、工鉱業振興に努めたが、農民にとって切実な土地問題には反動的政策に終始した。日中戦争で日本軍、八路軍、国民党軍の三者に地盤を崩され、第二戦区司令長官就任。1949年春、人民解放軍が閻の拠点の太原(たいげんタイユワン)をおとすと、南京(ナンキン)、広州(こうしゅう/コワンチョウ)へ逃げ、1949年6月国民政府の行政院長についたが、まもなく台湾へ逃れ、いくつかの名誉職についた。

[加藤祐三]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「閻錫山」の意味・わかりやすい解説

閻錫山
えんしゃくざん
Yan Xi-shan

[生]光緒9(1883).10.8. 山西,五台
[没]1960.5.23. 台北
中国の政治家。山西軍閥の領袖。日本陸軍士官学校在学中,中国革命同盟会に加入。辛亥革命の際挙兵し,中華民国成立後山西都督となり,その後の 38年間山西省の実権を握った。山西モンロー主義を唱えたが,国民政府の北伐に協力して一時モンロー主義を放棄し,北伐完成後は内政部長,陸海空軍副司令などに就任。 1930,31年反蒋戦争に参加したが敗れ,のち国民政府に復帰。再びモンロー主義をとり,37年日中戦争が始り太原が占領されたため大打撃を受け,さらに八路軍の進出により山西支配はゆらいだ。第2次世界大戦後積極的に国共内戦を推進し,旧日本軍を使って共産党軍と戦ったが敗れ,南京,広州を経て台北に逃げ,行政院長兼国防部長をつとめた。辞任後は総統府資政,国民党中央評議委員に就任した。

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改訂新版 世界大百科事典 「閻錫山」の意味・わかりやすい解説

閻錫山 (えんしゃくざん)
Yán Xī shān
生没年:1883-1960

中国,山西軍閥の統領。山西省五台県の生れ。字は百川。日本留学中に同盟会に加入,辛亥革命に参加して山西都督となる。以後独自の建設計画を遂行しつつ山西を地盤に独立した政治勢力を築き,〈山西王〉とよばれた。1927年北伐に協力したが,30年馮玉祥(ふうぎよくしよう)らと反蔣戦争を起こし,失敗。以後蔣介石の〈消極抗日,積極反共〉と歩みをともにし,抗日戦争後ともに内戦を起こす。49年太原から台北へ逃れた。
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百科事典マイペディア 「閻錫山」の意味・わかりやすい解説

閻錫山【えんしゃくざん】

中華民国の軍閥,政治家。山西省五台県の人。1909年日本の陸軍士官学校卒。中国同盟会会員,1912年山西都督。以後山西王といわれ実権を把握し,軍閥抗争,国共内戦,抗日戦の中で軍閥として重視されたが,1949年解放軍に敗れ,台湾へ逃げた。
→関連項目太原傅作義陽泉

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「閻錫山」の解説

閻錫山 えん-しゃくざん

1883-1960 中国の軍人。
光緒9年9月8日生まれ。辛亥(しんがい)革命に参加。中華民国時代には山西モンロー主義をとなえて山西王国をきずいた。1949年人民解放軍と太原でたたかうが敗北。台湾にのがれ国民政府の役職を歴任した。1960年5月23日死去。78歳。日本の陸軍士官学校卒。字(あざな)は百川。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「閻錫山」の解説

閻錫山(えんしゃくざん)
Yan Xishan

1883~1960

民国時代の軍閥。山西省五台県の人,日本士官学校卒業。民国38年間を通じ事実上の山西王で,省内の地方自治制を強化した山西モンロー主義を唱えた。1949年6月広州で行政院長となり,50年3月台北で辞任した。

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世界大百科事典(旧版)内の閻錫山の言及

【軍閥】より

…同年末の張学良の〈易幟(えきし)〉によって蔣介石による全国統一が完成するが,それは国民党の新軍閥化とむすびついていたのであって,南京国民政府は非北洋系軍閥の寄合所帯となったのである。西北の馮玉祥,山西の閻錫山(えんしやくざん),広西の李宗仁,広東の李済深がそれで,彼らは1929‐31年にかけて反蔣戦争を発動し,広東独立をおこなった。英米が蔣介石をおしたのに対し,反蔣派は日本にちかづいた。…

【中華民国】より

…北洋軍閥の支配時期は1000回をこえる大小の内戦が行われた時代であった。かくして,北洋支配を打倒するための北伐,国民革命の開始されるころの形勢は,東北を地盤に北京を扼(やく)する張作霖を中心に,両湖(湖南・湖北省)の呉佩孚(ごはいふ),江南の孫伝芳,山東の張宗昌,山西の閻錫山(えんしやくざん),陝西の馮玉祥といったところが華中・華北に割拠するという状況だったのである。軍閥
[北伐]
 この間,中国は第1次世界大戦の協商国側に参戦して戦勝国の一員となった。…

※「閻錫山」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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