翻訳|conspiracy
秘密裏にたくらむはかりごと。政治的陰謀と刑法上の陰謀とがある。
[富田信男]
政治的には、重要ポストの奪取、政権の纂奪(さんだつ)、要人の失脚・暗殺、自派勢力の維持・拡大などをめぐり、複数の者によってひそかに行われる謀議をさす。手段としては、讒訴(ざんそ)、中傷、デマ、でっちあげ、毒殺、テロといった積極的な方法のほか、敵対勢力の指導者の側近に自派の人物を送り込んだり、重要人物を酒色によって退廃せしめたり、スキャンダルに巻き込んだりするなど、隠微な方法が用いられることもある。また迷信の強い社会では御託宣が利用されたり、呪詛(じゅそ)といった手段がとられたこともあった。これらの陰謀が成功するためには高度の秘密性と内部結束が不可欠の要件であり、陰謀の結果を維持するためには敵対勢力から民心を離反させることが必要である。また高度の秘密性と内部結束を維持するために陰謀家たちはしばしば秘密結社や陰謀集団を結成するが、それに加入するには一定の儀式ないし証(あかし)を必要とすることがある。
ところで、民主政治はガラス張りであることが要請されるが、古代や中世の宮廷政治、専制政治の下にあっては、また近代に入っても独裁国家や全体主義国家など、政治的自由のないところでは、敵対勢力の打倒、政権の奪取などをめぐって陰謀が巡らされるのは通常であり、むしろ日常化しているといってもよい。
若干の事例をあげるなら、古くはローマ共和政末期、権勢をほしいままにしたポンペイウスに対して、不平貴族や社会的敗残者と組んで政権の奪取を図ったカティリナの陰謀(前63~前62)は史上有名である。この陰謀はキケロの勇気と熱弁によって失敗に帰するが、陰謀の背後にはカエサルの策謀があったとされる。そのカエサルはやがてポンペイウスを倒すが、紀元前44年、彼はブルートゥスらの陰謀によってポンペイウスの像の前で暗殺された。そのおりに彼が発したとされる「ブルートゥスよ、お前もか」という一語は陰謀の本質をよく突いているといえよう。
日本の歴史も陰謀で満たされている。大化改新の序幕となった中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)や中臣鎌足(なかとみのかまたり)らによる蘇我入鹿(そがのいるか)の暗殺も一種の陰謀によって進められたといってよい。陰謀は、この時代にあってはかならずしも悪ではなく、敵を倒すために必要な手段であった。下って江戸時代の黒田騒動、伊達(だて)騒動、加賀騒動など、一連の御家騒動には、歌舞伎(かぶき)、講談などで演じられているのはフィクションであるにしても、かならず陰謀がつきものであった。
近代に入ってからの事例では、ナチスによるドイツ国会議事堂放火事件(1933)は共産党弾圧のための権力者による陰謀であり、張作霖(ちょうさくりん)爆殺事件(1928)は満州(中国東北部)の支配を企図した関東軍によって仕組まれた陰謀であった。アメリカのウォーターゲート事件(1972)は、大統領にふたたび選ばれることを謀った「大統領の陰謀」といわれる。
なお法的には2人以上の者が非合法なことをなすことを目的とし、ないしは目的は合法的でも非合法手段によってそれをなそうとし、合意に達することを陰謀といい、かつてイギリスでは労働者の賃上げのための共同行動も陰謀とされた。現在の日本で罰せられる陰謀には、内乱の陰謀(刑法78条)、外患誘致ないし援助の陰謀(同88条)、私戦の陰謀(同93条)がある。一般の犯罪の共同謀議は、犯罪の実行、幇助(ほうじょ)、教唆のいずれかにあたる場合、刑法が適用されるが、陰謀とはいわない。
[富田信男]
特定の犯罪を実行する目的で、2人以上の者が謀議をすること。未遂犯(さらに既遂犯)が犯罪の実行に着手した以後の段階にあるのに対して、陰謀は、予備とともに、実行の着手以前の段階にあるものをいう。なお予備とは特定の犯罪を実行するための準備行為をさす。現行刑法では、予備と同様、陰謀についてなんら通則的規定はなく、単に各則において、内乱罪、外患罪、私戦罪についてのみ、陰謀をも処罰する旨の規定が置かれているにすぎない。判例や学説では、一般的に、特定の犯罪につき複数人の共謀があり、そのなかのある者が実行に出れば、この実行行為に出なかったにもかかわらず、共謀に参加した者が、共謀共同正犯として、共同正犯の責任を問われることがある。
[名和鐵郎]
政治権力の行使や交替をめぐって,ひそかに企画されるはかりごとであり,政治的技術の一種。政治現象には多くの利害がつきものであり,その行使をめぐって種々の策謀や機略が伴うものである。陰謀は権力構造に組み込まれていない者が非合法的手段によって権力に近づこうとするときに用いられがちな手段であり,したがって,暗殺,革命,クーデタなどの背後に存在している。特に権力が少数者に集中している政治社会においては,権力の獲得やそれへの影響力の行使に際し,ひそかに政治的機略をめぐらし,特定の人物の追放を画策したり,ある政策をとるようしむけるようなはかりごとがなされやすい。絶対主義下のヨーロッパの宮廷政治やアジア諸国での専制政治のもとにおいて,このような現象が多く記録されてきたが,それは,これらの社会においては政治が皇帝や君主により,またその名のもとで行われ,しかも権力に対する接近の回路が限定されていることによる。寵姫や自己の女,娘をすすめて君主の心をたぶらかしたり,影響力のある人物に取り入って自己の意思の実現をはかったり,権力に近い特定の地位の人物を中傷,讒言(ざんげん)して〈君側の奸〉を除いたりするのはその例である。政治が近代化され,公衆の参加と公開が許容されている民主主義政治のもとにおいては,権力行使をめぐる陰謀のような現象はかげをひそめるかにみえるが,権力の交替時や,新しい制度が生まれるような時期には多少ともみずからに有利なかたちで権力に参与しようとする陰謀が観察される。政治権力の行使が限定されたエリートによって行われている全体主義体制や権威主義的国家においては,自由な政治活動と情報公開がはばまれているために陰謀を生む素地は大きい。ソ連の〈大粛清〉の発端となったキーロフ暗殺事件(1934)や,1944年のドイツ軍部によるヒトラー暗殺計画事件はその例である。また,国際政治と国内政治の関係が密接になってくると,陰謀も国際的になってきて,スイスなどの中立的な国々に陰謀者が集まってくる。さらに企業,教会や社会団体のような非政治的社会においても,地位や権力をめぐる陰謀が企てられることがある。陰謀には高度な秘密性が重要であるために,特殊な通信・伝達手段を用い,団結を強化するために血盟などの特殊な儀式を行うこともある。また,秘密結社を伴うこともある。したがってそれが明るみに出た場合には政治的効果はなく,かえってマイナス・イメージを与えるが,反対に成功した場合には陰謀とはよばれず,むしろその政治的手腕を評価されることもある。陰謀を成功させるためには,目的,指導者,内部的団結,手段,計画性,秘密性のほか,資金,場所,時期が重要である。なおイギリス法でいう〈法律的な陰謀conspiracy〉は,2人以上の者が犯罪の実行を目的として合意するもので,共同謀議とよばれる。
→共同謀議
執筆者:下斗米 伸夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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…英米法では,このような合意自体が犯罪として処罰される。これを(クリミナル)コンスピラシー(criminal) conspiracyという。ドイツ(旧,西ドイツ)でも,重大犯罪については,その共謀Verabredung自体が一般に処罰されている。…
…しかし,犯罪はつねに完成して既遂になるとはかぎらないし,また犯罪はつねに1人で行われるわけでもない。そこで,刑法は犯罪の段階的類型として既遂犯のほかに,未遂,予備,陰謀の類型を認め,また犯罪の関与方法的類型として,単独正犯のほかに共犯の類型を認めている。 〈未遂〉とは,犯罪の実行に着手しこれを遂げないことをいう(未遂罪。…
※「陰謀」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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