陸軍(読み)リクグン(英語表記)army

翻訳|army

デジタル大辞泉 「陸軍」の意味・読み・例文・類語

りく‐ぐん【陸軍】

陸上戦闘を主な任務とする軍備・軍隊。日本では明治維新後、天皇の統帥のもとに海軍と併存したが、第二次大戦後廃止。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

精選版 日本国語大辞典 「陸軍」の意味・読み・例文・類語

りく‐ぐん【陸軍】

  1. 〘 名詞 〙 地上戦闘を主な任務とする軍備・軍隊の総称。陸上兵力を主力とする軍隊。日本では明治維新後、天皇を総帥とし、海軍と併存したが、第二次世界大戦後廃止された。
    1. [初出の実例]「魯西亜は陸軍に長じ、地続きの国を併呑仕」(出典:外国事情書(1839))
    2. [その他の文献]〔晉書‐宣帝紀〕

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「陸軍」の意味・わかりやすい解説

陸軍 (りくぐん)
army

主として地上を活動の領域とし,地上戦闘を任務とする国防機関の総称で,海・空とあわせて3軍と呼ばれ,これらで国防軍を構成する。現代では国防軍の構成が複雑となり,機能の分科がすすみ,防空軍や戦略核ミサイル軍などを独立した軍種とする国もあるが,この場合でも,通常,3軍といえば陸・海・空軍を指し,これをもって国防軍を総称することが多い。3軍の中では陸軍が通常人員数が最も多く,担当する任務も広範である。陸軍には,海上輸送や,その支援護衛にあたる船舶部隊,地上戦闘を直接支援し,または空中偵察,指揮連絡に任ずる航空部隊等を含めることがあり,これとは反対に,地上で活動する部隊であっても,陸戦隊海兵隊は陸軍には含めない。最近では,主として地上で活動する部隊を〈地上軍〉と呼ぶことがあるが,陸軍とほぼ同義語である。

 陸軍は,戦時にあっては,地域・地点を占領,奪取し,または確保,防衛することのできる唯一の軍種として,攻撃・防御・追撃・退却等の各種の戦術行動を行い,また,遊撃戦などの不正規の戦闘も実施する。陸軍の行動には靱強性(容易には撃滅されない特性)があり,地形や気象を利用し,指揮運用と迅速な機動とによって戦力を補い,劣勢でも優勢な敵と戦うことができる。地域との関係も密接で,住民の保護や避難・誘導なども陸軍の任務として重視される。平時における陸軍の任務は,一般的な教育訓練のほか,治安行動や災害救助,民生協力等である。

 陸軍を構成する主要な部隊が歩兵,砲兵等であることは,平時からの常設軍(常備軍)のほかに,有事に招集される予備軍(予備兵役)の価値を大きくしている。現代の戦争では部隊の即応性が強く要求されるが,ほとんどの国が予備軍を保有しているのは,これによる。予備軍は,有事に動員によって,常備軍の欠員を補充し,または新たに部隊を編成して常備軍と同様の作戦任務にあたる。

 陸軍を構成する中心的な要素は人であり,陸軍の戦力規模は通常兵力数をもって表現される。これは,陸軍の主要素が人であることをあらわしている。陸軍の戦力規模は,通常,常備軍の数をもってあらわし,予備軍は含めない。

陸軍は,軍隊の骨幹として,古代から近隣諸国を侵略したり,国内では政権を維持しまたは変革するための主要な実力部隊として利用され,時としてはその主体的な勢力となるなど,政治と密接に関連する組織であった。このため,陸軍の編成組織・性格は,政治の影響を受けることが多かった。また新兵器の出現は,陸軍の組織・運用に大きな改革をもたらし,とくに科学技術の進歩の顕著な現代では,その傾向が著しくなっている。

刀や槍・矛等の白兵による戦闘は,火器が開発される12~13世紀ころまで戦争の主要な手段であった。白兵には,石などの投擲(とうてき)や,弓・矢,投槍などが併用された。国の領域が拡大し,軍隊の規模が大きくなるに従って,輸送機関として馬が使用され,前3000年ころにはすでに戦車が使われている。軍隊が組織として初めて歴史に登場したのは,前3千年紀のシュメールの軍隊であるとされている。この軍隊は歩兵が主体で,一部4輪の戦車が使用されていた。バビロニアは前2千年紀の初期,徴兵と兵役義務に関するかなり詳細な規定を残している。エジプトとの戦いでは2輪式の戦車3500両,歩兵1万7000人を繰り出した。

 白兵主体の戦闘の期間,陸軍は歩兵騎兵との戦場における主導権の争いの歴史でもあった。歩兵は〈方陣(ファランクス)〉によって,強力な盾と長槍による突進力の威力を発揮して,陸軍の主兵としての地位を保っていたが,前8~前7世紀ころから,騎兵の機動力によって圧倒されるようになった。騎兵が発達した弓矢によって,方陣の弱点である翼側を突いたためである。ギリシアの装甲歩兵がペルシアの騎兵を破って,再び歩兵の主動性を回復したのは(前5世紀),錯雑した地形を利用することによって騎兵の機動力を封殺し,また歩兵の防護装備が,騎兵の半弓に十分耐えられるまでに改良されたためである。歩兵と騎兵との特性を統合して運用したのはアレクサンドロス大王であった。大王は重装歩兵の方陣を骨幹として,その弱点である側面を騎兵で防護する戦法をとった。

 〈方陣〉による戦法を,軍団組織に改めたのはカンネーの戦(前216)でカルタゴに敗れたローマである。方陣から軍団への改編は徐々に行われたようであるが,軍団の基本的な戦闘方式は100~200人の歩兵を戦術隊形の基本としたもので,運用に融通性をもたせ,方陣のもつ硬直性の弱点を改めた。4世紀ころから普及しはじめた蹄鉄(ていてつ)・乗鞍・鐙(あぶみ)は,騎兵の有用性を著しく高め,陸軍における主兵としての地位を再び騎兵にもたらし,騎兵の優位は相当長期にわたった。12世紀にはチンギス・ハーンによって率いられたモンゴルの騎兵部隊は欧亜を征服した。この軍団は十進法の編成をとり,10騎をもって中隊とし,大隊は10個中隊,連隊は10個大隊,10個連隊をもって軍団とし,軍団の兵力は1万騎であった。軍団は,近接戦闘に入るまえに軽快な機動によって敵を包囲し,弓矢でその戦力を衰えさせ,突撃によって決定的な打撃を与える戦法をとった。

中国で発明された黒色火薬がヨーロッパに伝わったのは13世紀以前である。ニトロセルロースニトログリセリン等の発明は19世紀に入ってからで,ノーベルが,黒色火薬でニトログリセリンの爆発に成功したのは1862年である。火薬は12世紀の初頭に金が北宋を滅ぼしたときにすでに戦場で使用されたが,大砲や小銃が実用化されはじめたのは13世紀以降である。15世紀の英仏戦争で初期の大砲(臼砲)が使用され,砲兵が戦場に登場したが,その後,火砲の製造技術の進歩に伴い砲兵は急速に発展した。一方,小銃も16世紀の初期,火縄銃が出現してその有用度を増し,戦場は歩兵,砲兵の協力によって律せられ,騎兵は急速に主兵の地位から後退した。砲兵科を設立したのは,スウェーデン王グスタブ2世である。王は兵1000人について砲6門を配備した。ナポレオン1世は,歩兵,騎兵,砲兵を統合して師団を編成し,師団を数個あわせて軍団とした。戦闘にあたっては砲兵を要点に集中し,火砲の威力を最大限に利用する戦術をとった。火砲の威力は強大であったので,師団内の砲兵の比率が大きいほど戦闘力を増大させたが,砲兵は運動性に乏しく,独立性(自衛能力)がないので,過度の砲兵装備は不利を招いた。

 機関銃の出現は,歩兵の要度を増しただけでなく,攻防の戦術思想にも影響を与えた。機関銃は,日清戦争(1894-95)ですでに日本軍によって使用されたが,その威力を認められたのはボーア戦争(1899)であった。戦闘では,防者は地形を利用し,準備に時間をかける待受けの利点をもっているが,攻者は戦闘の時機・場所を選定する主動性の利点をもち,精神的な感作から,戦闘では通常攻者に有利性があるとされていた。機関銃の出現はこの思想を逆転させ,地形を利用し,障害物と連係させて配備した機関銃の威力は,防者の有利さを著しく増大させた。

戦車が初めて戦場に出現したのは,第1次大戦中の1916年,ソンムの会戦である。大戦中イギリス,フランス,ドイツは競って戦車の開発に努めたが,実際に戦場で威力を発揮したのは第2次大戦で,大戦当初,ドイツの戦車部隊による電撃作戦は,連合軍を壊滅させた。大戦を通じて戦車のもつ機動力は,その火力,装甲破壊力とともに,戦場における主導的な責務を果たした。このため,防者有利の原則は覆され,戦闘を機動戦に導いて,攻勢によって短期間に決定的な戦果を収める戦術が賞揚されるようになった。

第2次大戦およびその後の戦争(軍備)に最も大きい影響を与えたのは核兵器である。核兵器の強大な破壊力は軍事思想を一変させ,核兵器を政治の直接コントロール下におくとともに,抑止重視の戦略へと変革した。

 核兵器のほか,現代軍備の特徴は,科学技術の発達による兵器の急速な進歩である。戦車等の装甲戦力,航空機の性能向上,電子機器,各種ミサイルの出現等は,作戦の様相を大きく変えることとなった。近代戦の特色は,海・空等他軍種との統合や,外国軍隊との連合作戦の要度が増大したこと,強大な火力,迅速な機動力は,作戦の経過を速め,部隊がつねに即応態勢にあることがより重要になったこと,職種,機能の細分化は,これを統合運用するためのC3I(指揮・統制・通信および情報)が欠かせない要素となってきたこと等である。しかし,以上述べたこれらの特色は,陸軍の任務を本質的には変えていない。また,現代の戦争においても,ゲリラ活動,テロ,サボタージュ等の不正規戦は減少せず,むしろ増加する傾向にあるので,この面における陸軍の役割は依然大きい。

平時においては陸軍野戦部隊の最高指揮機関は〈軍〉で,軍は数個の師団を隷下におく。戦時になると軍の上部機関として方面軍や軍集団が設けられることがある。師団は諸兵科を統合した基本的な作戦部隊で,国によっては,これをやや小型にして旅団とし,旅団を基本作戦部隊としているところもある。師団は,その作戦機能によって分科され,現在では歩兵,戦車(機甲),機械化,空挺,山岳,特殊,軽などに分かれている。歩兵師団は,陸軍のもっとも基本的な師団で,歩兵を主体とし,これに砲兵,戦車等を組み合わせて構成されている。歩兵師団といえども,現在では行軍(移動のための行動)は通常自動車により,師団内にそれに必要な車両を保有するか,または移動するときだけ,臨時に自動車部隊の支援を受ける。これに対して,山岳師団は,山岳の錯雑地で作戦することを主任務としているので,砲などは馬に駄載し,戦車のような重装備はもたない。機械化師団は,歩兵部隊を装甲車搭載とし,砲も自走砲として,全般に装甲機動力を強化したもので,先進諸国にあっては,歩兵師団をほとんど機械化師団に改編している。戦車師団は,戦車を主体として,これに一部の装甲歩兵を配したもので,戦力が大きく打撃力に優れているが,地域を長期にわたって占領,確保するような任務には適さない。空挺師団は,敵の後方などの要点に,歩兵部隊を落下傘降下させて,そこを一時占領確保し,または敵の後方を攪乱することなどをおもな任務とする師団で,歩兵師団よりも軽装備である。独立して長期間戦う能力に乏しいので,敵地内に降下させても,数日内に友軍部隊と連接できる範囲でないと効果はない。最近では,平時にあっても,しばしば治安行動や反乱軍の鎮圧,海外の領土保全などに緊急使用されている。特殊師団は特別な目的のために編成された部隊で,積雪地・対化学戦・ゲリラ・特殊情報など各種ある。

 陸軍の基本的な装備は小銃,機関銃で,これらは同盟,友好国間の弾薬補充を円滑にするため口径を統一する傾向にある。NATO諸国や日本は7.62mmに統一しているが,最近アメリカ等は,小銃をさらに軽く扱いやすくするため5.56mmのものも使用している。野戦砲は105mm級が主体であったが,火砲や弾薬の製造技術が進むに従い,より効力のある155mm級が主力となりつつある。迫撃砲は,軽量で大きい弾丸が発射でき,弾道が湾曲しているので依然多数が装備されている。戦車は50t級,105~120mm砲搭載のものが主力となってきた。陸軍の装備するミサイルは,小型の対空ミサイル,対艦ミサイルおよび対戦車ミサイルがおもなものである。偵察,連絡および射弾観測のための小型機のほか,ヘリコプターが多数陸軍に導入された。ヘリコプターは輸送用のほか,対戦車戦闘のために開発されたものがある。レーダーセンサーなど情報・警戒監視のための電子機器,通信資材等も広く利用されている。

アメリカは,位置の関係から国土防衛の必要性が少なく,陸軍のおもな任務は,海外に派遣してNATOをはじめとして,同盟・友好国の防衛を支援することにある。1996年現在,保有する10個師団,49万5000人のうち,NATOに2個師団,韓国に1個師団を配置している(以下の数字もすべて1996年現在のもので,《ミリタリー・バランス》などによる)。国内にある師団も海外への緊急展開を予定されている。現有10個師団の内訳は,戦車師団2,機械化師団4,歩兵師団2,空輸攻撃師団1,空挺師団1である。

 旧ソ連は強力な陸軍国で,1989年に425万人の総兵力のうち約160万人は地上軍(ソ連では陸軍を通常こう呼ぶ)であり,これを16個の軍管区と東欧駐留の4軍集団に分けていた。1980年代後半のペレストロイカの過程で軍縮がすすみ,91年末のソ連崩壊後はロシア連邦独自の軍が創設され,いっそう軍縮がすすめられている。軍管区は8個(北部,モスクワ,ボルガ,北カフカス,ウラル,シベリア,ザバイカル,極東)となり,96年現在,総兵力は推定127万人(95年152万人),うち地上軍46万人(95年67万人)とされている。なお,旧ソ連時代と同様に国防省とは別系統の国境警備軍があり,これは独立国家共同体(CIS)諸国の多くとも連携している。

 中国の陸軍は人民解放軍と呼ばれ,中国共産党の軍隊であるが,国軍としての色彩もある。220万人の陸軍をもち,戦車師団11,歩兵師団90等が中心となっている。人民解放軍は,野戦軍のほか,地方軍と強力な民兵(陸軍の兵力の中には含まれていない)をもっている。地方軍は地域の防衛・警備を担当し,民兵は有事に野戦軍の兵站(へいたん)業務や補充,後方警備に使用される。人民解放軍は依然として毛沢東の人民戦争戦略(敵を国内に引き入れ,野戦軍,地方軍,民兵の3者の協力によってこれを殲滅(せんめつ)する戦略)をとっているが,最近は軍の現代化に努め,諸兵科,陸・海・空の協同による前方防衛戦略(敵を国境付近で撃滅する)を重視している。

 イギリスの陸軍は,諸兵種統合の基本部隊を旅団群とし,必要に応じてこれを統合する師団司令部を設けている。総兵力は約11万3000人で,そのうち2万3600人はドイツに配置し,NATOの基幹部隊となっている。イギリス陸軍の特色は,レジメントの制度をとっていることである。レジメント制度とは,一定の地域(通常県単位)ごとに部隊をもつことで,レジメントが募集,編成,訓練,補充等の業務を担当し,軍隊の制服や諸制式をも定める。

 フランスの陸軍は,総兵力23万6600人,戦車師団7,機械化師団6などを有し,このうち欧州軍団(在ドイツ)に1師団をあてている。また最近は緊急即応部隊を編成し,空挺師団1,空輸可能の海兵師団1,軽戦車旅団1などをその指揮下に置いている。

 ドイツは25万2800人の陸軍(89年34万人)をもち,空挺師団1,航空旅団1,支援旅団1,電子諜報旅団1などから成る。

 朝鮮民主主義人民共和国の軍隊は総兵力105万4000人(推定)のうち,陸軍は92万人と陸軍にかたよっている。平時野戦軍の最高司令部は軍団である。戦車旅団15,歩兵師団26等が16個の軍団に分かれて配置されている。特色は約9万人に及ぶ特殊部隊(海・空・地中から潜入して敵国内でゲリラ,破壊活動,テロ等を行うことを主務とする部隊)を保有することである。

 大韓民国の陸軍は54万8000人で,3個の軍から成り,機械化師団3,歩兵師団19,特戦旅団(空挺・レンジャー部隊)数個をもっている。
執筆者:

明治維新後から第2次大戦直後まで海軍と併立した軍事機構。制度としては1868年(明治1)1月17日の3職7科制での海陸軍務課(科)に始まり,1945年11月30日の陸軍省廃止で消滅した。海陸軍務課は1868年2月に軍防事務局,閏4月に軍務官となり,海軍局・陸軍局を置いた。翌年7月に兵部省となり,70年7月に海陸の2軍を置くことが定められ,ヨーロッパの兵制調査から帰国した山県有朋を中心に建軍方針が検討され,10月に海軍はイギリス式,陸軍はフランス式によるとされた。71年7月兵部省陸軍部内条例制定,72年1月に海陸軍は陸海軍と陸軍を先に呼称することに改められ,2月に兵部省を廃し,陸軍省・海軍省が置かれた。

 将校養成機関としては,1868年7月に兵学校が京都に置かれ,兵学所と改称ののち69年9月に大阪兵学寮となった。70年5月に兵学寮に下士養成機関の教導隊を置き,71年12月徳川氏創立の沼津兵学校を合併し,教導隊は教導団と改称されて東京に移され,ついで兵学寮も東京に移り,73年10月に教導団は省の直管となった。74年11月に陸軍士官学校条例が制定され,翌年第1期士官生徒が入学,兵学寮は廃された。士官生徒制は11期卒業までで,87年に士官候補生制に改められ,第2次大戦の敗戦まで続いた。士官学校の予科教育的機関としての幼年学校制度は86年に整備され,教導団は89年に廃止。

 陸軍が直轄軍としての実兵力をもったのは1871年4月の親兵設置からで,徴兵令制定にともない近衛・6鎮台の制が整備され,この体制で西南戦争に勝利した。78年8月近衛砲兵の反乱である竹橋事件が起こると,陸軍卿の名で〈軍人訓誡〉が出され,以後自由民権運動の影響が軍内に及ぶと,82年に〈陸海軍人に賜はりたる勅諭〉(軍人勅諭)が出された。軍人勅諭は以後軍の解体まで軍人を律する最高規範として位置づけられ,軍隊の天皇親率,政治不干与,命令絶対服従などの原則を明示した。西南戦争の経験に学んで78年12月にドイツから帰国した桂太郎の建議により参謀本部が設置され(本部長,山県有朋),軍人勅諭の原則に従って軍の統帥=軍令事項について大元帥=天皇を補佐する機関に発展し,82年にはその要員(参謀および高等司令官)の養成機関として参謀本部所管の陸軍大学校が設置された。俗に〈長の陸軍・薩の海軍〉と呼ばれたように,陸軍首脳は旧長州藩出身で占められ,山県有朋,桂太郎,寺内正毅,田中義一の順に実権が継承されてきたが,大学校の出身者でなければ軍中枢の要職につくことができなくなると藩閥の力は減退し,逆に士官学校,大学校の卒業成績の序列が大きな意味をもつ官僚機構に転化した。統帥権独立の慣行は帝国憲法発布後も内閣の関与を許さないものとして堅持され,陸軍大臣に現役武官を任用する制度(1900-13,1936-45)・慣行とあいまって,地上兵力を有する陸軍を政府の制約から強い自立性をもつ大政治勢力=軍部(あるいは軍閥)に成長させた。

 軍制は,1885-88年にかけて,フランス式からドイツ式に改められ,内戦あるいは外敵防御にあたる編制・配備の鎮台制を外征向け編制(機動力と後方部隊の増強)・配備(分散から集中へ)の師団制に改編し,常設師団数は日清戦争開戦時7個師団,日露戦争開戦時13個師団,第1次大戦時21個師団と増加したが,第1次大戦後の軍縮で17個師団に減じた。陸軍の機構は官衙・軍隊・学校・特務機関に分類され,軍事行政(軍政)機関の陸軍省,軍令機関の参謀本部,軍隊教育を管掌する1898年設置の教育総監部を中央3官衙といい,その長である陸軍大臣,参謀総長,教育総監はそれぞれ天皇に直隷し,その意志の統一は3長官の協議によるほかに方法がなかった。

 第1次大戦以降,国家総力戦思想が広まるに伴い,陸軍の政治的発言力が強くなり,政治への介入が激しくなった。とくにロシア革命によるソ連の成立,中国国民党による中国統一の機運が高まるという情勢のなかで,日露戦争で獲得した中国東北(満蒙)の利権の危機が叫ばれ,1931年には,陸軍中枢をあげてのクーデタ計画(三月事件)の未遂,9月には陸軍の謀略による満州事変開始,ついで中堅幕僚を中心とするクーデタ未遂(十月事件)などが起こった。これらを契機として陸軍部内にクーデタによる軍事政権樹立によって対ソ戦争を志向する派(皇道派)と,全陸軍の統制ある合法的手段によって政権を握り日満華経済ブロックの形成により総力戦体制の樹立を志向する派(統制派)との対立が生じ,36年の皇道派青年将校が率いる軍隊の反乱である二・二六事件の鎮圧の結果,軍内派閥抗争は統制派の勝利となった。部内の統制を回復した陸軍は,反乱事件の原因を政府の失政に帰し,軍事力の圧力によって準戦時体制を確立し,大規模な軍備拡張に着手し,中国の排日抗日政策に一撃を加えるとして日中戦争の泥沼に足を踏みこみ,中国侵略による国際的孤立化を日独伊三国同盟によって切り抜けようとし,41年12月ついに対英米宣戦にいたったが,国力を無視した無謀な戦争に敗北し,45年8月無条件降伏した。
参謀本部
執筆者:

そもそも軍隊は,一社会内で正統的に独占された国家的強力の中心として,国家防衛・対外戦争の政治的・軍事的機能を果たすのみならず,国家的危機状況においては国内治安にも決定的役割を果たし,時には軍事独裁として日常的統治にあたる場合さえある。陸軍は,国軍全体に占めるその優越的地位により,海軍,空軍に比してもとりわけ重要な政治的機能をもち,国軍全体の政治的性格を決定し,軍事独裁の場合には国家権力のあり方と国家の進路全体を方向づけるものとなる。

 第2次大戦前日本の帝国陸軍は,天皇制国家機構の中核に位置し,その政治的役割においてきわだっていた。もともと帝国陸軍は,江戸幕府の採用していたフランス式軍制を当初は継承して出発したが,天皇制国家の確立過程でフランス革命軍の伝統を引く合理的軍制を廃棄し,攻撃的で侵略的なプロイセン型軍制を天皇制イデオロギーで補強した独特の組織とイデオロギーを制度化していった。イギリス式軍制を採り入れた帝国海軍が,制海権確保を主眼とした防衛的戦略を採ったのに対し,プロイセン型軍国主義と軍人勅諭的イデオロギーを結合した陸軍は,対外侵略・膨張政策を国策として採用させることに力をそそいだ。一般に国軍兵力の多くは陸軍に属し,海軍国イギリスでさえ兵力は陸軍中心たらざるをえないが,日本の帝国軍隊においても,徴兵兵士の大部分は陸軍に配属された。陸軍は,とりわけ徴兵制のもとでは,社会内部の諸矛盾がたえず流入し,政治の動向にも敏感にならざるをえない宿命を負っている。一方で軍隊内教育と軍紀・階統制で天皇制イデオロギーを全社会へ浸透させる重要な基軸となりながら,他方で混成軍の士気低下や不平不満兵士の統制に悩まされ,五・一五事件,二・二六事件などの反乱青年将校の多くを輩出したのも,帝国陸軍への社会的・政治的諸矛盾の凝集であった。また逆に,こうした社会的・政治的性格の強さを背景にして,議会や政党の統制の及ばない天皇の統帥権のもとでも,海軍では軍政の軍令に対する優位がいちおう確保されていたのに対し,陸軍においては軍令部が軍政から独立して優位に立ち,政治的統制を無力化させたばかりか,国策全体を侵略戦争に引き込む主導力となった。満州事変の開始や,農村救済を口実にした戦争拡大が,陸軍の政治的性格を示す典型例であり,太平洋戦争を開始した東条英機が首相兼陸相であったことが,日本の軍部独裁が陸軍主導でもたらされたことを象徴的に示している。

 世界的にもまれな奴隷的軍紀・盲目的服従を強いた天皇制陸軍ばかりではなく,陸軍は一般に社会的・政治的問題に鋭敏に反応し,クーデタや軍事独裁の中心となる。ナチス・ドイツにおいてもヒトラーと結びついたのは陸軍最高司令官H.vonゼークトに代表される参謀本部右派であったし,元社会党員ムッソリーニのイタリア・ファシスト党結成の背景には,陸軍兵士としての参戦体験があった。第三世界のクーデタ・軍事独裁政権においても,陸軍はつねに中核的役割を果たしている。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「陸軍」の意味・わかりやすい解説

陸軍
りくぐん
army

陸上における軍事行動の大部分を担任する軍種。沿岸、海峡の防御や海上輸送にあたることもある。地上戦闘は海兵隊によっても行われる。

 陸軍の任務は、敵地上部隊の破砕と地域の占領確保にあり、あわせて住民支配の役割をも担う。また国内においては、権力を支える最終的実力組織として、警察を補完する。

 古代国家において発生した軍隊は、陸軍の原型であった。原始社会で生活と生産の用具として生まれた刀や槍(やり)、弓矢などが地域の支配や奴隷の獲得をめぐる戦争に使われるようになった。古代の強国は、騎兵や歩兵からなる常備の軍隊を設け、大規模な略奪戦争を行った。

 14世紀以降、小銃と大砲が発達するに伴い、組織的な火力戦闘が重視されるようになり、歩兵隊が騎士団を圧倒した。フランス革命における国民軍の創設は、近代陸軍の始まりであった。またナポレオンによる火力、機動力を駆使した殲滅(せんめつ)戦略の展開は、近代戦争に道を開いた。

 多くの国が一般国民に兵役義務を課し、大規模な常備軍をもつようになった。その中心をなす陸軍は、18世紀以降、師団編成を採用し、歩兵、砲兵、騎兵の3兵科を統合的に運用する戦術が完成した。師団はまた多様な支援兵科をもつことにより、独立して作戦する能力を得て、遠く国外において長期にわたり活動できるようになった。

 日露戦争で本格的に使用された機関銃は、歩兵による陣地防御の優位性を高めたが、第一次世界大戦で戦車が出現、その打撃力、機動力、防護力をもって以後、戦場の主役となっている。騎兵にかわる戦車兵と砲兵、歩兵が陸軍の主力兵科となったのである。

 一方、19世紀から海軍が発展し、20世紀に入ると航空機が登場して航空兵力が重視されることになった。これにより作戦は立体化し、陸海空の統合運用が不可欠とされている。第二次大戦では広範かつ激烈な戦闘が長期にわたって戦われ、戦場は交戦国国土の全域に及んだ。

 大戦末に出現した核兵器とミサイルは、その後ますます発展し、地上戦の様相を根本的に変えた。アメリカ、旧ソ連など核大国の陸軍は打撃力の中軸として核兵器を装備し、さらに航空兵科をもち、空地一体の作戦態勢を整えていた。また砲兵火力はミサイルに重点を置き、その機能によって対空、対戦車、対地攻撃を任務とする兵科に分化してきている。

 近代日本の陸軍は1871年(明治4)天皇直属の軍隊として御親兵が組織されたところに始まる。同年、内乱鎮圧を目的とする鎮台が設置され、73年1月には徴兵令が施行された。88年の軍制改革により鎮台が廃止されて師団が編成された。

 こうして大陸作戦の準備を整えて日清(にっしん)戦争、日露戦争を戦い、これに勝利した。1907年(明治40)にはロシア、アメリカ、フランスを仮想敵国とし、対外攻勢戦略にたつ「帝国国防方針」を定め、陸軍40個師団が戦時所要兵力量として設定され、軍備の充実を進めた。1931年(昭和6)の満州事変以降、中国、東南アジアへ侵略戦争を拡大し、太平洋戦争に突入したが、45年(昭和20)8月ついに完全な敗北に至った。当時の陸軍兵力は640万人であった。

 敗戦の結果、陸海軍は解体された。だが1950年7月8日付け連合国軍最高司令官の指令により、警察予備隊が設置され、その後保安隊を経て54年陸上自衛隊に改編され、事実上の陸軍が復活した。97年現在の定員は18万人、戦車約1130両、火砲約6000門をもち、通常装備の質は世界の最高水準にある。

 世界の陸軍をみると兵力数(カッコ内単位万人)の順位は中国(220)、北朝鮮(100)、インド(98)、韓国(54.8)、トルコ(52.5)となっているが、質的には8位のアメリカが突出している。9位はロシアである。

 アメリカ陸軍は兵力49万人、主力戦車約1万5000両、火砲約1万4000門をもち、機甲師団、機械化師団、歩兵師団、軽歩兵師団、空中強襲師団、空挺師団の計10個師団に編成されている。うち2個師団がヨーロッパに、1個師団が韓国に駐留する。

 ソ連の地上軍はピークの1987年に200万人を保有していたが、現在のロシアは46万人へと激減している。予算は少なく、その大半は人件費、宿舎費にあてられており、兵器購入費は大幅に縮小されている。(データは1996年現在)。

[藤井治夫]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

百科事典マイペディア 「陸軍」の意味・わかりやすい解説

陸軍【りくぐん】

陸上の戦闘を担当する軍事組織。古代から軍隊の主要な部門で,近代には海軍空軍と並立。現在は統合的軍事組織へ移行する傾向が目立つ。古代国家では歩兵の密集部隊を中核とした大規模な陸軍がその権力の基礎であったが,封建時代に入ると少数精鋭の騎士が陸上戦闘の主役となった。15―16世紀火器の発達で歩兵隊の役割が増し,さらに砲兵の威力も増加し,職業的な常備軍が編制された。フランス革命後徴兵制による国民的軍隊が創建され,軍の規模は次第に大きくなり,両度の世界大戦では主要国は数百万の陸軍を動員した。第2次大戦後の核兵器と運搬手段の発達は,陸軍の様相をも一変させた。現在の陸軍は核弾頭ミサイルなどの攻撃力をはじめ,空輸機動力,電子兵器などを備え,編制自体も激しく変化しつつある。 近代日本陸軍の起源となったのは,1871年組織された御親兵で薩摩・長州・土佐3藩の献兵約1万名であった。1872年陸軍省が設置され,徴兵令も施行。1878年参謀本部が創設され軍政・軍令機関が分離された。1888年より師団による編制が行われた。日清・日露戦争を経て兵力は,大正時代の一時期を除き拡大の一途をたどり太平洋戦争に突入,敗戦により解体された。なお,主要国の陸軍現勢は,米国49万人,ロシア42万人,英国11万人,フランス21万人,ドイツ24万人,中国210万人。日本の陸上自衛隊は15万1800人(1998年)。

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「陸軍」の意味・わかりやすい解説

陸軍
りくぐん
army

主として地上を活動領域とする軍隊で,空軍,海軍などと対応する軍種の一つ。歴史的には最も古くから知られている。古代人類の部族,都市などの自衛組織としての武装団体を軍隊とみるならば,それらは多くの場合陸軍であり,その兵器はすべて個人装備による格闘兵器であった。それが機動隊としての馬,遠戦兵器としての弓矢,弩弓の利用などにより,さらに火薬の採用によって,火力と機動力と打撃力とをそなえた陸上戦闘の主体をなす軍となり,歩,騎,砲,工,輜重などの兵科も区分されるようになった。そして第1,2次世界大戦およびその後の経験と軍事技術の進歩により,戦車,大口径で機動力のある火砲,固定翼機,ヘリコプタ,核兵器の使用も可能となり,陸軍の火力と機動力と打撃力は大いに向上した。現在では陸軍は地上に密着した旧陸軍ではなく,大規模機動力をもった主要軍種となっている。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

デジタル大辞泉プラス 「陸軍」の解説

陸軍

1944年公開の日本映画。監督:木下恵介、原作:火野葦平による同名小説、脚本:池田忠雄、撮影:武富善男。出演:笠智衆、山内明、三津田健、杉村春子、田中絹代ほか。

出典 小学館デジタル大辞泉プラスについて 情報

普及版 字通 「陸軍」の読み・字形・画数・意味

【陸軍】りくぐん

陸上の軍。

字通「陸」の項目を見る

出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報

世界大百科事典(旧版)内の陸軍の言及

【木下恵介】より

…以来,好敵手とみなされ,実際,お互いの戦後第1作,木下《大曾根家の朝》と,黒沢《わが青春に悔なし》(ともに1946)は,〈戦後の民主的な日本映画の最初の代表作〉(岩崎昶)になる。戦争の悲劇や反戦の思想を描いたヒューマニズム映画(《陸軍》1944,《日本の悲劇》1953,《二十四の瞳》1954)からロマンティック・コメディ(《お嬢さん乾杯》1949,《カルメン故郷に帰る》1951,《今年の恋》1962)に至るまで,多種多様の主題と傾向の映画をこなすが,その底に共通する二つの大きな特質は〈抒情〉と〈モダニズム〉ということばでしばしば呼ばれるものである。戦後最大の〈催涙映画〉といわれた《二十四の瞳》から《喜びも悲しみも幾歳月》(1957)に至る抒情と感傷,そして,日本最初の国産カラー(フジカラー)による長編劇映画の実験(《カルメン故郷に帰る》),〈純情す〉という新しいことばの使い方にこめられたモダンな感覚(《カルメン純情す》1952),回想シーンをすべて白くぼかした楕円形で囲む試み(《野菊の如き君なりき》1955),歌舞伎の舞台の転換や義太夫,長唄を使った話法(《楢山節考》1958),モノクロを基調にした画面に効果的にほんの一部分だけ着色したパート・カラー方式(《笛吹川》1960)等々のさまざまな新趣向のテクニックを駆使した。…

【軍隊】より

…幕府は混乱のうちに倒れ,明治維新とともに近代的軍隊の創設がはじめられた。幕末,洋式軍事技術はまずオランダに学び,維新後,陸軍はフランス,のちにドイツに,海軍はイギリスに範をとった。1873年には徴兵令が施行され,国民的軍隊の基礎が築かれた。…

【歩兵】より

…陸軍の兵種(職種)の一つで,徒歩で戦闘するところから歩兵という。自衛隊では普通科といい,ロシアでは狙撃(そげき)兵と呼ぶ。…

※「陸軍」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android