隈野村(読み)くまのむら

日本歴史地名大系 「隈野村」の解説

隈野村
くまのむら

[現在地名]宮崎市熊野くまの学園木花台北がくえんきばなだいきた学園木花台南がくえんきばなだいみなみ学園木花台西がくえんきばなだいにし学園木花台桜がくえんきばなだいさくら

清武きよたけ川を挟んで郡司分ぐじぶん村の南に位置する。那珂郡に属し、西は宮崎郡木原きわら(現清武町)、東は日向灘に面する。鵜戸うど街道が通り、清武川には鬼塚渡がある。同渡の五町ほど下流には木崎きさき渡があり、村の南端を流れる加江田かえだ川には鵜ノ木渡がある。古代の西海道救麻くま駅は当地に置かれたとされ、中世国富くどみ庄に含まれた。

天正一六年(一五八八)八月五日の日向国知行方目録には隈野八〇町とあり、伊東祐兵に宛行われている。以後幕末まで伊東氏(飫肥藩)領であった。検地古今目録(日向国史)では慶長一〇年(一六〇五)の高一千六九一石余・反別一九一町五反余。寛文四年(一六六四)飫肥藩領郷村高辻帳では高一千六九七石余で、表高は幕末まで変わらない。寛文二年九月の大地震では元高一千八六〇石余のうち分米八四六石余が荒廃し、禿家三九軒のうち一一軒が海没、村内の今江いまえは一六八人が被災し、禿家一一〇軒の被害が出ている(「万覚」湯地家文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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