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建造物に付属する襖障子や壁面などに絵を描いて,生活空間を彩る室内画の総称。古くから建造物と結合して発達した絵画に,古墳の墓室や寺院の堂塔などに描かれた壁画がある。だがそれらはいわば聖なる空間に奉仕する荘厳画であり,本来人間生活から隔絶された絵画であった。これらの壁画に対して,障壁画は生活を営む建造物の室空間を場として成立する。9世紀の初頭,文献が記す内裏清涼殿の壁画や紫宸殿の障子絵は,その発生期の好例である。おそらく,中国唐代における巨障高壁の宮殿絵画の制を倣ったのであろう。しかし,平安朝内裏に発したこの大画面絵画はやがて王朝貴族の邸宅や山荘などにも伝播し,さらに寺院堂塔の荘厳画をも変貌させる。13世紀初頭に後鳥羽院が造営した最勝四天王院の御堂は,すべてやまと絵の名所障子絵で飾られた。こうした進展の様相は,以後ふたたび近世初期の障屛画が例証するように,生活空間を場として形成された障壁画の浸透力の強さを物語る。
→障屛画 →壁画
執筆者:吉田 友之
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
建築に付属する障子絵(襖絵など)と壁貼付絵を一つにした呼称。天井画や杉戸絵も含まれる。杉戸絵以外はみな紙に描いた貼付絵である。古代以来,寝殿造や書院造の発展とともに,大画面の建築装飾画として優れた展開をみせたが,安土桃山時代にその黄金時代を迎えた。安土城をはじめとする城郭建築には,城主の権威を象徴すべき豪壮華麗な障壁画,特に金碧(きんぺき)障壁画が必要不可欠であったこと,やがてその様式がこの時代に多く建立された大規模な寺院建築に適用されたことによる。視覚的要素の優れた花鳥画が喜ばれる一方,中世的要素の強い山水画は副次的画題に後退し,狩野派をはじめ,長谷川派・海北(かいほう)派・雲谷(うんこく)派など諸画派に天才的画家が多く出現して覇を競いあった。江戸時代に入り新たにおこった琳派・南画・円山四条派・奇想派などの画家も,それぞれ個性的障壁画を制作,その伝統は現代にまで生きている。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
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[桃山美術の形成――前期]
桃山時代の美術に見るこのような特色は,室町時代美術の伝統の継承と,その統合,再編によって成立したものであり,室町時代後半,すなわち戦国時代には,桃山美術の前駆となる傾向のさまざまを見いだすことができる。幕府や有力大名の対明貿易に際し進物としてさかんにつくられた金屛風の花鳥図は,桃山時代金碧障壁画につながるものとして注目される。染織では,明や琉球との交易がもたらした金襴(きんらん),緞子(どんす),繻珍(しゆちん)など高度な織物の技術に刺激されて,堺や京都で独自に華麗で斬新な意匠がつくり出されたが,それは,室町時代末である。…
…障壁画と屛風絵の総称。絵画の画面形式はさまざまだが,生活空間を彩る大画面絵画として早くから日本で愛好されたのは,屛風形式の諸作品であった。…
※「障壁画」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
〘 名詞 〙 年の暮れに、その年の仕事を終えること。また、その日。《 季語・冬 》[初出の実例]「けふは大晦日(つごもり)一年中の仕事納(オサ)め」(出典:浄瑠璃・新版歌祭文(お染久松)(1780)油...
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