雁堤(読み)かりがねづつみ

日本歴史地名大系 「雁堤」の解説

雁堤
かりがねづつみ

富士川の下流左岸、松岡まつおか村の西側に築かれた雁行状の堤防。元和七年(一六二一)中里なかざと村の古郡孫太夫重高が富士川の氾濫による被害を防ぐため、岩本いわもと山の麓に一番出し・二番出し、および突堤を築いたという。寛永四年(一六二七)重高の長男重政は再度岩本山の山裾の築堤に着手、松岡村地内の水神すいじんの森に堤を築いていった。工事は重政の子息重年に引継がれ、延宝二年(一六七四)に約一千三〇〇間の堤が完成。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の雁堤の言及

【駿河国】より

…旧国名。駿州。現在の静岡県の中東部,大井川以東,伊豆半島を除く地域に位置する。
【古代】
 東海道に属する上国(《延喜式》)。国名スルガは,富士川以東の地域にあった〈珠流河国〉の名を継承したものと思われる。珠流河国造と廬原(いおはら)国造の支配領域をあわせて駿河国が形成されるのは7世紀中葉と思われ,680年(天武9)には2郡を割いて伊豆国を分置した。志太(しだ),益頭(津)(ましつ),有度(うと),安倍,廬原,富士,駿河の7郡を有し,当初は中国であったが,奈良時代末の768年(神護景雲2)ころまでには上国に転じた。…

【富士川】より

… 富士川は急流に加え土砂運搬量が多く,長く洪水に悩まされてきた。武田信玄が甲府盆地を御勅使(みだい)川の激流から守るために築造した信玄堤や,近世初期に駿州代官古郡孫太夫重政とその子文右衛門重年が加島新田(現,富士市)開発のため築いた雁(かりがね)堤などは今日も残されている。1925‐29年には釜無川と笛吹川の合流点を約2.7km下流に下げる背割堤が設けられた。…

※「雁堤」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

発見学習

発見という行為の習得を目指す学習。または,発見という行為を通じて学習内容を習得することを目指す学習。発見学習への着想は多くの教育理論に認められるが,一般には,ジェローム・S.ブルーナーが『教育の過程』...

発見学習の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android