雨師庄(読み)あめしのしよう

日本歴史地名大系 「雨師庄」の解説

雨師庄
あめしのしよう

寿永三年(一一八四)後白河法皇建立にかかる長講ちようこう(現京都市下京区)領の荘園。建久二年(一一九一)の長講堂所領注文(島田文書)に「雨師御領 正月元三料 御簾一間 畳二枚小文一枚紫一枚 砂二両 小文也御更衣料紫畳一枚十月料 門兵士十二月下旬三箇日 西面門 移花十枚」とある。長講堂の正月元旦の簾など、その他西面門の兵士役などをつとめたと考えられ、同庄は法皇の施入になるものであろう。その後、本家職は同三年同法皇皇女の宣陽門院に譲渡された(明月記)。貞応三年(一二二四)の宣陽門院覲子内親王所領目録(島田文書)の庁分のうちに「大和国雨師社」とある。長講堂領としては以後も存続したもので、応永一四年(一四〇七)の長講堂領目録(八代恒治氏蔵)の庁分のうちに「大和国雨師社 勧修寺中納言家、年貢緑青七百両、近来進続松千把」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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