雪村屋敷跡(読み)せつそんやしきあと

日本歴史地名大系 「雪村屋敷跡」の解説

雪村屋敷跡
せつそんやしきあと

[現在地名]大宮町下村田

戦国末期の画僧雪村は字坪井つぼいに生れ、字五林堂ごりんどう・字寺下てらした寺院で出家し周継と称し、のち画僧となって鶴船・鶴仙・老翁・舟居斎と号した。坪井にはその屋敷跡があった。「常陸国北郡里程間数之記」に「画仙雪村翁」と題し、「翁の屋敷迹西の方山ニ着て古迹を遺す里人雪村屋敷と唱ふ爰より一二町を隔り東の方ニ清水湧出の地あり沼と也(中略)雪村翁常ニ此寺の水をもて画用をなすと言ニ雪村西影の井又硯の井とも言とそ」とある。

天文一五年(一五四六)より天正元年(一五七三)まで会津黒川あいづくろかわ城主の蘆名盛氏の庇護を受け、独特な水墨画作風を確立し、同一七年頃の作品とみられる瀟湘八景図屏風(旧黒田家蔵)に「継雪村老年八十六歳図之」と記した以降は不明で、確かな没年はわからない。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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