霊仙山城跡(読み)りようせんざんじようあと

日本歴史地名大系 「霊仙山城跡」の解説

霊仙山城跡
りようせんざんじようあと

[現在地名]今治市宮ヶ崎

霊仙山は宮崎みやがさき登畑のぼりばただん三村の境にあり、標高一五六・六メートル。北北東約二キロを隔てて、戦国末期から近世初頭、村上武慶・福島正則らの居城のあった唐子からこ(一〇五・三メートル)がある。

戦国期、河野氏一八家の一人、中川山城守親武の居城があった。親武は天正一〇年(一五八二)毛利・河野両氏に背いて豊臣秀吉に荷担した来島通総の攻撃を受けて討死、跡目は弟の常陸介通任が継いだ(予陽河野盛衰記)。「河野分限録」に「御侍大将十八騎之内、越智郡霊仙山城主、中川常陸介通任、手勢十騎、御旗下十二騎、合廿二騎」とみえ、御旗本組衆として高大寺左馬之介以下一二名の名前が記されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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