青井村
あおいむら
小浜城下の西端に接し、村内を丹後街道が通る。東南は熊野山、北は青井山(高成寺山)を越えて小浜湾、南は丹後街道から分れた道で谷田部坂を経て谷田部村へ通じる。丹後街道を西へ向かうと勢坂に至る。大飯郡との境である。中世には今富名に属し、小浜の西側関門の位置を占めたと考えられる。貞治元年(一三六二)八月一日付法延置文(高成寺文書)に高成寺の山号として青井山がみえる。
慶長四年(一五九九)一一月一日付代官所物成目録(桑村家文書)に村名がみえ、元禄二年(一六八九)四月の今富庄内青井村地改帳(山崎家文書)によれば田数四町四反余・分米六〇・一八石余、畑数六畝余・分米〇・二五石余、高一二八・九石余、うち六九石余は「寺屋敷町屋敷高成寺分」、残り六八石余は「此度改分」であった。
青井村
あおいむら
[現在地名]舞鶴市字青井
舞鶴湾の西岸、吉田村の北方に位置し、大君村・吉田村と同様に、小さな谷が海に接する地に集落がある。ここから由良川右岸の油江に通ずる道がある。
慶長検地郷村帳に高一一七・三九石「青井村」とみえる。土目録でもほぼ同高で、内訳は田方六六石余、畑方五〇石余。延享三年(一七四六)の郡中高究付覚による農家戸数は五五。桐実・枇杷・梨の栽培が盛んであった。
青井集落の北西に槇山(四八三メートル)がある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報