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順徳天皇【じゅんとくてんのう】
6件の用語解説(順徳天皇で検索)
朝日日本歴史人物事典の解説-
生年:
建久8.9.10 (1197.10.22)
没年: 仁治3.9.12 (1242.10.7)
鎌倉前期の天皇。諱 は守成。在位は承元4(1210)~承久3(1221)。後鳥羽天皇の第3皇子。母の修明門院重子は後鳥羽を養育した従二位(贈左大臣正一位)藤原範季の娘で,二条局と称して後鳥羽に仕え,寵を得て愛妃となった。その母が後鳥羽の腹心の女房卿二位の養女であったために,順徳は卿二位邸で誕生し,正治1(1199)年に3歳で父院の御所に引き取られるまで,卿二位に育てられたとみられる。同年11月親王となり,翌2年4月東宮となる。承元2(1208)年12月元服。同4(1210)年11月,14歳で即位。この間,父と同居したが,しばしば乳父藤原範光邸を御所とした。即位後の内裏は閑院であった。在位中は後鳥羽の院政下であったため,政務にあずかることはなく,有職故実の研究や,和歌,詩,管弦など芸能の修練に傾倒した。著書に,内裏の公事・故実,天皇や側近のあり方などを記した『禁秘鈔』や従来の歌論を集大成した『八雲御抄』などがある。後鳥羽上皇の討幕計画(承久の乱)に参画し,それに備えるため乱の直前の承久3(1221)年4月,東宮懐成(仲恭天皇)に譲位した。しかし乱の敗退で同年7月佐渡に配流され,配所で崩じた。配流後は佐渡院と称されたが,建長1(1249)年,順徳院と追号された。
(秋山喜代子)
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世界大百科事典 第2版の解説-
じゅんとくてんのう【順徳天皇】
1197‐1242(建久8‐仁治3)
第84代に数えられる天皇。在位1210‐21年。後鳥羽天皇の第3皇子。名は守成,のち佐渡院とも称す。母は高倉範季の娘修明門院重子。土御門天皇の皇太弟を経て即位。後鳥羽上皇の討幕計画に参画。そのため承久の乱直前の1221年(承久3)4月仲恭天皇に譲位したが,結局,乱に敗れて佐渡に配流され,同所で没した。歌学書《八雲御抄(やくもみしよう)》,有職書《禁秘抄》を著し,日記を《順徳院御記》という。陵墓は真野陵(新潟県佐渡郡真野町),大原陵(京都市)。・・・
▼順徳天皇について記述のある項目
金井[町]【かない】 水無瀬神宮【みなせじんぐう】 八雲御抄【やくもみしょう】 禁秘抄【きんぴしょう】
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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説-
順徳天皇 じゅんとくてんのう
 
1197-1242 鎌倉時代,第84代天皇。在位1210-21。
建久8年9月10日生まれ。後鳥羽(ごとば)天皇の第3(または第2)皇子。母は藤原重子(修明門院)。兄土御門(つちみかど)天皇の譲位をうけて14歳で即位。父の院政下にあって,皇子仲恭天皇に位をゆずり父とともに討幕の戦い(承久(じょうきゅう)の乱)をおこすが,敗れて佐渡に流された。仁治(にんじ)3年9月12日同地で死去。46歳。墓所は大原陵(みささぎ)(京都市左京区)。諱(いみな)は守成(もりなり)。別名に佐渡院。著作に「禁秘抄」「八雲御抄(やくもみしょう)」など。
【格言など】ももしきや古き軒端の忍ぶにもなほ余りある昔なりけり(「小倉百人一首」)
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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。収録人物のデータは2009年1月20日現在のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。
デジタル大辞泉の解説-
じゅんとく‐てんのう 〔‐テンワウ〕 【順徳天皇】
[1197~1242]第84代天皇。在位1210~1221。後鳥羽天皇の第3皇子。名は守成(もりなり)。承久の乱に敗れて佐渡に流され、同地で没。和歌に秀で、歌集「順徳院御集」、歌学書「八雲御抄」などがある。
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百科事典マイペディアの解説-
鎌倉初期の天皇。1210年即位。後鳥羽天皇第3皇子。父上皇の鎌倉幕府打倒計画に参加,1221年に仲恭(ちゅうきょう)天皇に譲位して事を起こしたが失敗し,幕府のため佐渡に流され,在島22年ののち没した。
(1197-1242)
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大辞林 第三版の解説-
じゅんとくてんのう【順徳天皇】
(1197~1242) 第八四代天皇(在位1210~1221)。名は守成。後鳥羽天皇の皇子。父上皇とともに承久の乱を起こして佐渡に流され,同地で没した。著に「八雲御抄」「禁秘抄」「順徳院御記」がある。
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順徳天皇に近い言葉→懿徳天皇|崇徳天皇|安徳天皇|仁徳天皇|文徳天皇|孝徳天皇|称徳天皇|日本文徳天皇実録|仁徳天皇陵|順徳
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