須谷村(読み)すだにむら

日本歴史地名大系 「須谷村」の解説

須谷村
すだにむら

[現在地名]竹野町須谷

和田わだ村の南、竹野川下流域左岸(一部は右岸)に位置する。応永七年(一四〇〇)八月日付の某袖判書下写(円通寺文書)に「栖谷村御百姓等、如先々惣郷山ヘ可入由、被仰下旨、心得申候、但栖山ヘ者、可有禁制候歟」とみえる「栖谷村」は当村であろう。「栖山」は円通えんつう寺領の山か。円通寺は須谷集落西方にあり、山名時義が創建した臨済宗寺院。江戸時代ははじめ出石藩領、慶長九年(一六〇四)から和泉陶器藩領。

須谷村
すがいむら

[現在地名]有田市宮原みやはら町須谷

みなみ村の東方、岩室いわむろ山の南山麓に集落が開ける。近世糸我いとが庄三ヵ村のうち当村のみ有田川北岸にある。「続風土記」に「川を隔てゝ中番村の艮の方にあり、村居山に傍ひて川原にあるより洲谷の名起れるならん、島といふ小名あるをも思ふへし」とある。慶長検地高目録によれば村高六〇〇石余、小物成五斗二升五合。天保郷帳では七一七石余。家数七一、人数二二六(続風土記)

須谷村
すだにむら

[現在地名]加賀市須谷町

動橋いぶりはし川中流左岸の渓谷に位置し、対岸柏野かしわの村。曲流地のわずかな平地に集落があり大部分は山地正保郷帳によると高一四六石余、田方七町二反余・畑方一町九反余、物成高四九石余。「江沼志稿」では高一五三石余、小物成は山役一〇匁余と茶役、家数一二・人数五七、馬一二、灌漑は動橋川に設けた開発かいはつ堰によった。動橋川には当村と柏野村の間に堀割ほりわり堰がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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