須賀山村(読み)すかやまむら

日本歴史地名大系 「須賀山村」の解説

須賀山村
すかやまむら

[現在地名]東庄町笹川ささがわ

現東庄町の北西端に位置し、北は利根川が流れ、番洲が形成されている。同川付近に笹川集落があり、笹川河岸が置かれていた。銚子道が通り、道沿いに菰敷こもしきの集落がある。元和三年(一六一七)の柑子木数帳(谷本家文書)では須賀山として計一〇本あり、うち「ふちかさき」の彦左衛門尉一本、水内の三郎右衛門尉一本のほか、文殊院一本・福寿院一本・おきの坊一本・引地一本など。同七年の反別帳(多田家文書)では高九六一石余で名請人一一三。寛永八年(一六三一)の東之庄小見川領須賀山村検地帳(同文書)では田方は上田一〇町七反余・中田一九町三反余・下田八一町五反余・新田二町五反余で高九八一石余。畑方は上畑一町八反余・中畑一三町三反余・下畑二一町三反余、屋敷四町六反余で高二〇八石余。名請人一六九、うち所持反別五反未満は七七人で、五町以上を含む二町以上は一六人。同一八年の検地帳(同文書)では新たに二二九石余が打出された。

寛永一二年より幕府領と旗本松平・中根領であったとされ、元禄一三年(一七〇〇)頃の下総国各村級分では高一千二五四石余で、幕府領のほか、旗本中根・川口領。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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