頼母子(読み)タノモシ

デジタル大辞泉 「頼母子」の意味・読み・例文・類語

たのもし【頼母子/×憑子】

頼母子講」に同じ。

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改訂新版 世界大百科事典 「頼母子」の意味・わかりやすい解説

頼母子 (たのもし)

鎌倉時代以降行われた金融組織の一つ。人々が集まってを結成し,少額の米穀・銭貨を拠出して抽選その他の方法で講中の者に融通した社会慣行。《下学集》に〈少銭を出して多銭を取る,これを憑子というなり〉と説明するように,〈憑子〉あるいは〈頼子〉〈憑支〉〈資支〉などとも表現され,《節用集》に〈また合力という〉とあるように,合力銭,助成銭などとも称された。商品流通経済が活発化する鎌倉中期から出現したとみられ,その初見史料は1275年(建治1)12月の紀伊国猿川・真国・神野三荘荘官請文(《高野山文書》)である。頼母子の講は寺院の宗教活動のための講から発展したものとみられ,当初は寺院の財政窮乏対策として営利を目的として寺院が頼母子親となる,いわゆる頼母子講として出発したらしい。最も顕著なものは信貴山寺を親とする信貴頼母子(《光明寺古文書》)である。このような頼母子はまた地頭や荘官,山僧や借上(かしあげ),あるいは室町時代には国人(こくじん),土豪,地侍(じざむらい),商人などが親となって結成・運営された。頼母子親は拠出金(懸銭(かけぜに),懸米とよばれた)を私的に流用し,またこれを高利貸付けに利用したので,頼母子は純粋に相互扶助的なものとはいえず,在地の中小領主や商人の利益追求の手段,農民収奪の一方法でもあったといわれる。中世後期,戦国時代には,惣村においての頼母子講が結成され,頼母子講の構成員となることは惣村メンバーとしての不可欠の条件で,頼母子の懸銭,懸米の提供を怠る者は講から排除されるだけでなく,村落生活上のいっさいの扶助も与えられなかった。頼母子と徳政との関係は明瞭でないが,1546年(天文15)の室町幕府徳政令は,利息つきの頼母子は徳政の対象であるとしている。頼母子(タノモシ)の語源は明らかでない。
執筆者: 頼母子は近世から近代にかけ,庶民金融として民衆の間に定着し流行した。十数人以上が1~3年など一定の期間を定めて仲間となり,講元(親)をきめ,親の家や会所または持ちまわりで普通は月1回,一定の期日に寄り合い,あらかじめ定めた会則の下に一律掛金を集金する。この総額から会合費,諸雑費や利息を計算して差し引いたものを,くじ引きで落札して融資を受けることになる。農村部では豪農,中農,貧農らがそれぞれの地域の実情にそい,諸階層の個々人の条件に見合う人々と組んで講を組織した。町方でも豪商,小商人,職人らが同じようにして頼母子講をつくった。納税家普請,葬儀相続披露,嫁入り,不幸病気,災害などの不時の大出費や,10年に1度の物入り時などに充当する目的があった。それらの必要のない者も,地元,同業知己などのつき合い,懇談の目的で参加した。貧民でも積極的な者やはでなタイプの人間は幾種類かの頼母子に入会して,まわりの人に警戒されることもあった。一部の財産家が5~10口も入ったり,あるいは幾講も多種類の頼母子に加入してつき合い,もっぱら,低利とはいえ手堅い,悪評のたたない金融資金投下とみなしている場合も多かった。その場合,くじに当たっても,当り金を本当に欲している講員に譲り,自分は礼金と利息を受け取るのである。したがって豪商・豪農らにとって,頼母子講は遊金を安全に運用する重要な融通先であった。また個人的な恩義を講員らに与え,貸金や土地担保金融にままみられる,きびしくぎくしゃくした人間関係の付随的発生をみない点でも,庶民の日常性に密着した,なごやかな庶民金融であったといえる。頼母子講の仲間は,戸主どうし,長子どうしなどの結びつきや,同世代・同業仲間,同寺社の旦那氏子,同じ巡礼参拝登山講仲間などと重複するので,近世・近代の民衆生活の展開に意外に大きな力量を発揮した。したがって頼母子金融は日本庶民の経済生活ばかりでなく,精神生活をも支える重要な役割をはたしたといえよう。
無尽
執筆者:

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百科事典マイペディア 「頼母子」の意味・わかりやすい解説

頼母子【たのもし】

民間の互助的金融組織。頼母子講ともいう。発起人(親)と仲間(衆)とからなり,懸銭(かけせん)・懸米と呼ぶ所定の金品を出し合い,入札または抽選により講衆の一人に金品(取足(とりあし))を融通,取足を得た者は以後当選の権利がなくなり,全員当選すれば講は解散する。鎌倉時代中期から出現したとみられ,困窮者に無利息無担保(たんぽ)で金融したのに由来。のち取逃げ防止に担保利息をとったため無尽(むじん)と区別がなくなった。目的により金頼母子,金講のほか,物品を購入する牛頼母子,ふとん頼母子,物品のみならず労力も出し合う萱(かや)講,特別の寄付などを目的とする宮(みや)講,学校講などがある。
→関連項目加茂一揆

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「頼母子」の解説

頼母子
たのもし

頼子・憑子・憑支とも。中世に始まる金融方式。参加者は一つの講を結成し,毎回の会合で懸銭(かけぜに)を出しあって,抽選または入札で参加者の1人に配当する。講の会合は定期的に開かれ,参加者全員に配当が行き渡るといちおう終了するが,講組織が永続化して講有田などの財産をもつ傾向もみられる。本来は村落などの相互扶助の目的で発達したもので,寺社の修造費用の調達にも利用されたが,やがて営利事業として行う事例が増加する。西日本では頼母子や合力銭(ごうりきせん)の語を用いることが多いが,無尽(むじん)との間に明確な地域的区分はできない。近代以降は,無尽の呼称が支配的になる。

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旺文社日本史事典 三訂版 「頼母子」の解説

頼母子
たのもし

鎌倉時代以降の庶民の共済的な金融組織
親(発起人)と講中(仲間)が定期的に一定の金・米を出し合い,入札・くじなどで順次掛金・掛米を借りる方法。江戸時代に盛行,京坂では頼母子,江戸では無尽 (むじん) といった。

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世界大百科事典(旧版)内の頼母子の言及

【講】より

…鍛冶仲間や牧牛飼育者の荒神講,牧馬や牽き馬業者の馬頭観音講,大工など建築業者の太子講,養蚕のオシラ講,漁師仲間の夷(えびす)講,薬種業の神農講などが著名である。 社会的講は地域の共同生活が反映し,相互扶助による契約講,労働力交換のゆい,モヤイ講,年齢別の子供講,若者講,老年講,葬式組の無常講,性別によるカカ(嬶)講,娘講,尼講など,また金品の融通をはかる経済的講は,頼母子(たのもし),無尽(むじん),模合(もやい)などとよばれ,融通する目的の品目により,米頼母子,舟頼母子,馬無尽などとよばれて,それらが生活の大きな支えとなっていた。頼母子無尽【桜井 徳太郎】
[中世の講]
 中世社会の講には大別して宗教的講と経済的講とがある。…

【賭博】より

博打(ばくち)【網野 善彦】
[近世]
 近世の賭博にはかるたが多く使用されたが,かるたは1597年(慶長2)の長宗我部元親の掟書で〈博奕,カルタ,諸勝負を禁ず〉とあり,1655年(明暦1)の江戸幕府の禁令では〈かるた博奕諸勝負堅御法度〉(《御触書寛保集成》博奕之部)とある。 近世初期,新開地の江戸建設,商業の活発化,都市への人口集中などの要因が重なって経済活動が盛んになるにつれ頼母子(たのもし)もしばしば行われるようになった。本来,頼母子は,講員が最終会まで掛金をして成立するものであるが,講員の申合せで終会まで参加しなくてよい方法が考案された。…

【仲間事】より

…江戸幕府の民事裁判手続(出入筋(でいりすじ))において,訴権が認められなかった債権関係をいう。《公事方御定書(くじかたおさだめがき)》は,〈連判証文有之諸請負徳用割合請取候定〉(共同事業者相互間の損益勘定),〈芝居木戸銭〉(座元・金主間の収益配分),〈無尽金〉(頼母子講(たのもしこう)の掛金・当り金請求)の3種を規定している。これらはいずれも当事者間の強い信頼関係を基礎とした〈相対(あいたい)〉の契約によるものであり,一方,契約の内容自体,収益的性格が強く封建道徳上好ましからざるものと考えられたため,たとえ紛争が生じても権力が関与する必要はないとされたのである。…

【無尽】より

…日本で一般の人々の間で古くからあった相互扶助的な金融方式。〈頼母子(たのもし)〉とも呼ばれる。一定の口数を定め加入者を集め,一定の期日ごとに各口について一定の出資(掛金)をさせ,1口ごとに抽選または入札によって所定の金額を順次加入者に渡す方式でお金を融資するものである。…

※「頼母子」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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