願証寺跡(読み)がんしようじあと

日本歴史地名大系 「願証寺跡」の解説

願証寺跡
がんしようじあと

伊尾いび(現揖斐川)の東岸、杉江すぎえ村の川寄りにあったが、明治二七年(一八九四)の河川改修工事により跡地長良ながら川の河中に没した。

浄土真宗の宗祖親鸞の教えに帰依した安田信慶は、桑名三崎みさきに草庵(後の桑名法泉寺)を結んだ。後に文永元年(一二六四)には杉江村に法泉ほうせん寺を建立した。信慶の子信誉は杉江法泉寺を継いだが、その弟の信祐は法義会所の庵室を結んで居住した。後にその庵室が本願寺三世覚如の時、願証寺の寺号を免許された。明応六年(一四九七)願証寺に本願寺八世蓮如の子蓮淳を養子に迎えてから、当寺は東海真宗教団の重要拠点となった(法泉寺略史)

また天文五年(一五三六)六角定頼は弟高実を梅戸氏の養子とし、さらに当時長野工藤が知行していた桑名をも支配下に入れようとしたため、長野氏は願証寺の力を借りて六角氏の支配を退けようとした(「天文日記」同年一〇月一八日条)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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