飯山城下(読み)いいやまじようか

日本歴史地名大系 「飯山城下」の解説

飯山城下
いいやまじようか

飯山盆地の南部、千曲川西岸沖積地の小丘陵に作られた飯山城を中心とする城下町。越後国高田へ至る富倉とみくら道と同国魚沼うおぬま地方へ通じる千曲川谷筋道との分岐点で軍事・交通の要衝。城北に有尾ありお小佐原こさはらなど飯山城築城以前から開けていた集落がある。

永禄六年(一五六三)上杉輝虎が信濃進出の一拠点として桃井義孝に命じて飯山城を築かせたが(「上杉輝虎書状案」蔵田文書)、天正一一年(一五八三)上杉景勝の臣岩井信能が本格的に築城し、無年貢地として町並が逐次形成された。上杉年譜の同年九月一六日の条に「信州飯山ノ鎮将岩井備中(信能)守領地ハ先制ノ如ク郡司不入ノ地タリト雖モ、今般城地普請ニ付、急度人夫ヲ差出スヘシ」、同年月日岩井備中守宛上杉景勝書状案に「飯山城普請之儀、無嫌有入不入可申付候、若於難渋輩者、以交名急度注進、可成下知者也」とある。同年一一月尼後(尼後家、清水能久の祖母)あて信能の書状に「於当町諸役停止出之所、於申輩者、可申上者也」(清水家文書)とあるのが城下町としての飯山の初見。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報