養源寺(読み)ようげんじ

日本歴史地名大系 「養源寺」の解説

養源寺
ようげんじ

[現在地名]広川町広

ひろの北部にある。長立山と号し、日蓮宗。本尊十界大曼荼羅。かつては法華宗不受不施派京都妙覚みようかく(現京都市上京区)末。「続風土記」に「昔鹿瀬山にして髑髏法華経を誦したる地に一寺を建立し、其後田村へ移して養源寺と号し、夫より当村に移るといふ」とある。寺伝によると、骸骨は天暦元年(九四七)熊野参詣の途中客死した天台宗の僧円善で、法華経六万部読誦誓願をたてていたため舌だけ生きて法華経の読誦を続けたといい、その地に塚を築いて供養したのが壱叡、そこに一寺を建てたのが朗妙という。


養源寺
ようげんじ

[現在地名]東根市東根

東根小学校の東側高台にあり、洞照山と号し、曹洞宗。本尊釈迦如来。寺伝によると南北朝時代、軌叟宗範が猪野沢いのさわ村に一宇を建立したのに始まる。のち東根城主里見(坂本)頼高が開基となり堂宇を改修し、里見家菩提寺とした。頼高の没年は永享一二年(一四四〇)、法号は養源寺殿華屋椿公である。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報