馬上村(読み)まけむら

日本歴史地名大系 「馬上村」の解説

馬上村
まけむら

[現在地名]高月町馬上

落川おちかわ森本もりもと両村の東、両村との境を南流する高時たかとき(馬上川)左岸平地と、北東境の山田やまだ(五四一メートル)の西麓丘陵に立地。南辺を山田川が西流し当地南端で高時川に合流。集落の中央に鎮座する走落はしりおち神社前は三差路で、南北に通る北国脇往還から高時川を渡り高月村で北国街道に合流する西方への道が分岐する要衝である。北国脇往還の北への道筋に枝郷北馬上集落がある。賤ヶ岳合戦の際、羽柴秀吉美濃から木之本きのもと(現木之本町)へ向かう途次きたまけ(北負け)の地名を聞き喜んだと伝える。中世には富永とみなが庄に含まれ、年未詳四月二五日の法橋兼全奉書案によれば、馬上郷の沙汰人百姓玉泉と正妙の二人は無理沙汰を各郷沙汰人たちから糾弾され、庄家差下しの公人により所職・名田畠・在所を検封されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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