出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
ジャーナリスト。明治8年7月13日岡山県に生まれる。同志社、東京専門学校(早稲田(わせだ)大学の前身)中退後、『ジャパンタイムズ』紙に入社。1909年(明治42)渡米、ニューヨークで英文雑誌『オリエンタル・レビュー』の編集に携わった。1913年(大正2)帰国、『ジャパンタイムズ』に復帰したが、翌1914年『国民新聞』に移り、政治部長、編集局長を歴任、1924年退社し、以後、評論活動に入るとともに、普選運動、無産政党の結成に力を尽くした。戦時中、自由主義的言論人として執筆禁止の厄にあった。1945年(昭和20)12月、読売新聞社社長正力松太郎(しょうりきまつたろう)が戦犯容疑で勾引(こういん)されたのち、同社社長に迎えられ、1951年1月まで社長を務めた。この間、第二次読売争議を切り抜け、日本新聞協会会長も務め、第1回新聞文化賞を受けた。昭和31年4月5日死去。著書には『現代人物評論』『近衛内閣史論(このえないかくしろん)』『回顧と希望』『自伝点描』などがある。
[高須正郎]
『『回顧と希望』(1948・読売新聞社)』▽『『自伝点描』(1952・東西文明社)』
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
ジャーナリスト。岡山県生れ。東京専門学校(現,早大)中退。《ジャパン・タイムズ》記者となる。1909年渡米,ニューヨークで同社社長頭本元貞らが企画した英文雑誌《オリエンタル・レビュー》を編集したが,13年帰国,《ジャパン・タイムズ》編集長。14年《国民新聞》入社,外報部長,政治部長,編集局長を歴任。24年退社,社会大衆党顧問となる。またリベラルなジャーナリストとして政治・人物評論などに筆をふるったが,第2次大戦中は政府によって執筆を禁じられた。45年正力松太郎の戦犯指名のあとをうけて《読売新聞》社長となり,第2次読売争議の弾圧にあたった。51年辞任,顧問。この間,日本新聞協会長も兼ねた。
執筆者:新井 直之
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
…そうした経緯と体質が,その後の自民党の歩みにさまざまな影響を及ぼすことになった。さらに党結成の際導入された総裁公選制が,衆院の中選挙区単記制と相まって,激烈な総裁争いと派閥政治を生み出したことも指摘しておく。 党綱領は次の3項から成る。…
…閥には,生得的な出身家族,出身地によって形成されるもの(門閥,閨閥,藩閥,県人閥),出身学校によって形成されるもの(学閥),社会的・職業的な権力集団が形成するもの(財閥,軍閥,官僚閥)などがある。また,一人のボスのもとに閥を形成する派閥もあるが,この場合,派閥を形成することによってボスも閥によって拘束される,という集団優位の機能が作用する。閥の形成は第三世界において集約的にみられる。…
※「馬場恒吾」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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