駒込町(読み)こまごめほうらいちよう

日本歴史地名大系 「駒込町」の解説

駒込
こまごめほうらいちよう

[現在地名]文京区向丘むこうがおか二丁目

明治五年(一八七二)駒込四軒寺こまごめしけんてら町と同町に隣接する武家地・寺社地を合併して成立。町名は将来の繁栄を願って付けられたものという。武家地・寺社地は幕末には越前丸岡藩有馬家下屋敷・先手同心組屋敷ほか武家屋敷、十方じつぽう寺・長元ちようげん寺・浄心じようしん寺・勝林しようりん寺・浩妙こうみよう寺・真浄しんじよう寺・海蔵かいぞう寺・光源こうげん寺・蓮光れんこう寺・高林こうりん寺・法林ほうりん寺などであった。また瑞泰ずいたい寺・栄松えいしよう院・清林せいりん寺・顕本けんぽん寺・大林だいりん寺・専西寺は駒込片こまごめかた町の飛地(駒込片町分)に所在していたが、明治一三年当町に合併された。

浩妙寺は日蓮宗寺院で、寛永五年(一六二八)に太田道灌の子孫である浩妙院が遠江掛川藩下屋敷の一部を寄進して成立した。栄松院・光源寺は天正一七年(一五八九)、瑞泰寺は同一八年に神田で起立した浄土宗寺院で、慶安元年(一六四八)にこの地に移転した。栄松院には初代松本幸四郎、幕末の閣僚で明治の漢詩人向山黄村の墓が、光源寺には大観音、瑞泰寺には空無建立の江戸六地蔵の一つ檀陀地蔵尊、狂歌作者の桑楊庵光の墓があった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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