高柳町(読み)たかやなぎまち

日本歴史地名大系 「高柳町」の解説

高柳町
たかやなぎまち

面積:六五・一四平方キロ

郡の南端に位置する。東部はえのき(三一七・八メートル)高耕地たかこうち(三三九・四メートル)薬師やくし(三八二・六メートル)天王てんのう(三四三・三メートル)の丘陵稜線で中魚沼郡川西かわにし町・東頸城ひがしくびき松代まつだい町、西部は黒姫くろひめ(八八九・五メートル)地蔵じぞう峠・小岩こいわ峠の稜線で柏崎市。鯖石さばいし川が町域のほぼ中央を北流する。北は柏崎市、南は東頸城郡大島おおしま村と同郡松代町。町域全体は褶曲構造の地形をなし、多くの地滑地帯がある。集落は鯖石川流域と支流鬼沢おんざわ川・塩沢しおざわ川・石黒いしぐろ川流域にある。

高柳町
たかやなぎちよう

[現在地名]岩見沢市毛陽町もうようちよう

市の東端幌向ほろむい川の最上流部に位置し、西は奈良なら町。北から東は現三笠市境、南は栗沢くりさわ町境。明治二八年(一八九五)群馬県人高柳広蔵が岩見沢ミルトマップに二〇〇町歩の貸下げ許可を得て、同三〇年頃までに群馬県・富山県より小作(約三〇戸)を入れ、群馬農場とした。農場は毛陽農場ともいわれた。当時この地域は人跡未踏の渓谷であったが、土地は肥沃で高柳広蔵の経営努力によりしだいに移住者も増え、数年後には五十数戸の地域になった。大正三年(一九一四)万字まんじ線が開通すると土地改良が進んだ。昭和一三年(一九三八)群馬農場は三菱合資会社と北海道炭礦汽船株式会社に買収されて小作となったが、農地改革により同二三年に自作農地になった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報