高楯村(読み)たかだてむら

日本歴史地名大系 「高楯村」の解説

高楯村
たかだてむら

[現在地名]山辺町山辺

山野辺やまのべ村の北、東流する小鶴沢こづるざわ川沿いに位置する。地内に高楯城跡があり、本丸跡には天満神社がある。宝徳元年(一四四九)甲斐武田氏の一族武田信安の築城と伝えるが、一説には高楯氏の築城で、信安は同氏の近習ともいわれる。文明三年(一四七一)最上氏と伊達・蘆名氏との戦いでは高楯九郎が最上勢として活躍したという(家林合集記)。最上義光分限帳(色川文書)には高館(高楯)遠江城主として載り、高二千五〇〇石。元和八年(一六二二)幕府領山形藩預地、寛永三年(一六二六)山形藩領、正保元年(一六四四)幕府領となる。寛文八年(一六六八)より一部が旗本高力領となり幕末まで続く。残りの幕府領はその後、貞享二年(一六八五)山形藩領、翌三年藩主堀田氏の転封により、陸奥福島藩領、元禄一三年(一七〇〇)山形藩領となる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報