高橋庄(読み)たかはしのしよう

日本歴史地名大系 「高橋庄」の解説

高橋庄
たかはしのしよう

現豊田市域の北部・中部と現西加茂郡三好みよし町・藤岡ふじおか町・小原おばら村の一部に広がる。延応元年(一二三九)から応永四年(一三九七)にかけての猿投神社文書によると、荘域は、志多利しだりころも大島おおしま寺部てらべ加納かのう舞木まいき神郷じんごう伊保いぼ亀首かめくび深見ふかみ弘見ひろみ佐々原ささはら西乙部にしおとべ莇生あざぶ浮谷うきがい大見おおみ平江ひらのこう・仁木上・富田とみだの各郷に及んだ。

安元二年(一一七六)二月の八条院領目録(平安遺文)には「庁分御庄」として「参河国高橋庄」「参河国高橋新庄」とあり、八条院領であった。なお、高橋新庄は荘域不明で、後の足助あすけ庄かとする説もある。明徳二年(一三九一)の相国寺都聞某下知状(猿投神社文書)に「相国寺領高橋庄内猿投宮神領事」とあり、この時点では相国寺領に属する。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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