高橋進(読み)タカハシ ススム

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「高橋進」の解説

高橋 進
タカハシ ススム


職業
能楽師(宝生流シテ方)

肩書
重要無形文化財保持者(能シテ方)〔昭和53年〕

旧名・旧姓
塚田

別名
俳号=高橋 すゝむ

生年月日
明治35年 1月1日

出生地
茨城下妻村(下妻市)

経歴
明治45年横浜商人・高橋頼治の養子となり、この頃より謡を習い始める。大正3年近藤乾三に入門。乾三の薦めで16代宝生九郎知栄に師事、4年九郎知栄の内弟子となる。「鞍馬天狗」の子方で初舞台。7年「岩船」で初シテを演じた。12年甲府連隊に入隊。昭和32年日本能楽会会員。44年「卒塔婆小町」を披く。45年芸術祭優秀賞、52年芸術選奨文部大臣賞を受賞。53年人間国宝に認定された。剛毅な芸風を持ち、後進の育成にも尽力した。他の代表作に「俊寛」「通小町」「朝長」など。また高橋すゝむの俳号を持ち、ホトトギス派の俳人としても活躍した。句集に「すゝむ句集」がある。

所属団体
日本能楽会

受賞
芸術選奨文部大臣賞(昭51年度)〔昭和52年〕「卒塔婆小町」 勲四等瑞宝章〔昭和47年〕 芸術祭賞優秀賞(昭44年度)〔昭和45年〕「善知鳥

没年月日
昭和59年 10月19日 (1984年)

家族
長男=高橋 章(能楽師),二男=高橋 勇(能楽師)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「高橋進」の解説

高橋 進
タカハシ ススム

昭和・平成期の陸上選手(障害),マラソンコーチ 日本陸連終身コーチ。



生年
大正9(1920)年11月17日

没年
平成13(2001)年5月13日

出生地
広島県佐伯郡吉和村

学歴〔年〕
東京高師体育科一部〔昭和17年〕卒,文理科大学(現・筑波大学)

主な受賞名〔年〕
岸記念賞典〔昭和27年〕,日本陸連勲功章〔昭和28年〕,日本陸連功労章〔昭和32年〕,秩父宮章〔昭和38年〕

経歴
文理科大学時代、箱根駅伝などで活躍。八幡製鉄(現・新日鉄)に入社後は、3000メートル障害のスペシャリストとして鳴らし、昭和22〜30年日本選手権3000メートル障害で9連覇した他、日本記録を何度も塗り替えた。27年ヘルシンキ五輪代表に選ばれ、アジア大会にも3回出場。32年第1回全日本実業団対抗駅伝に監督兼選手として出場。2区で区間賞を獲得後、監督車に乗用して選手に指示を出し優勝した。引退後はマラソンの指導者となり、インターバルトレーニングなど科学的な練習法を取り入れ、メキシコ五輪(43年)男子マラソン銀メダリストの君原健二選手らを育てた。八幡製鉄コーチ、五輪コーチ、日本陸連強化委員、強化部長、五輪対策副委員長、日本陸連終身コーチ、東海大学教授、国際武道大学体育学科教授を歴任。3年ダイエー陸上競技部特別コーチとして中山竹通、小指徹両選手を指導。膨大なデータを蓄積したマラソンメモを分析した独自の理論で数々の名選手を育てた。著書に「マラソン」「正しい健康マラソン」などがある。


高橋 進
タカハシ ススム

大正・昭和期の能楽師(宝生流シテ方)



生年
明治35(1902)年1月1日

没年
昭和59(1984)年10月19日

出生地
茨城県下妻市

主な受賞名〔年〕
芸術祭優秀賞〔昭和44年〕,勲四等瑞宝章〔昭和47年〕,芸術選奨文部大臣賞〔昭和51年〕

経歴
大正3年近藤乾三に入門。6年宝生流に入り、翌年「岩船」で初めてシテ役を演じた。昭和44年芸術祭優秀賞、51年芸術選奨文部大臣賞を受賞。53年人間国宝(重要無形文化財)に選ばれた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「高橋進」の意味・わかりやすい解説

高橋進
たかはしすすむ

[生]1902.1.1. 茨城,下妻
[没]1984.10.19. 東京,文京
宝生流シテ方の能楽師。塚田勝美の三男だが,高橋頼治の養子となる。近藤乾三に師事し,のちに16世宝生九郎(知栄)の内弟子となる。1915年『鞍馬天狗』の花見で初舞台。1917年,17世宝生九郎(重英)の門下となり,1918年『岩船』で初シテ。1940年『道成寺』,1969年『卒都婆小町』を初演。『善知鳥』のシテで 1969年度芸術祭賞優秀賞,『卒都婆小町』で 1976年度芸術選奨文部大臣賞。1978年,重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定。地頭として抜群の統率力をもち,後進の育成にも尽力した。高浜虚子の門下で,著作に『すゝむ句集』(1972)がある。長男が高橋章,その息子が高橋亘。(→

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「高橋進」の意味・わかりやすい解説

高橋進
たかはしすすむ
(1902―1984)

能役者。宝生(ほうしょう)流シテ方。12歳で近藤乾三(けんぞう)に入門。続いて明治三名人の1人先代宝生九郎(くろう)に師事。松本長(ながし)、野口兼資(かねすけ)の後輩として、田中幾之助(いくのすけ)(1903―1983)の先輩として流儀に重きをなした。洒脱(しゃだつ)な人格、堅実、重厚な演技は能界の指標として仰がれ、その謡の力感、リズムのみごとさは比類がなかった。1978年(昭和53)重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定される。高浜虚子(きょし)門下として、俳句にも優れた作が多い。後継者に高橋章(あきら)(1934―2022)、高橋勇(いさむ)(1935―2005)がある。

[増田正造]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「高橋進」の解説

高橋進(3) たかはし-すすむ

1949-2010 昭和後期-平成時代の国際政治学者。
昭和24年1月4日生まれ。篠原一(しのはら-はじめ)に師事し,昭和61年母校東大の教授。国際政治史を専攻し,ドイツ外交史,イタリアのファシズムを研究。現代の政治についても論評した。平成22年3月2日死去。61歳。宮城県出身。著作に「ドイツ賠償問題の史的展開」「イタリア・ファシズム体制の思想と構造」「国際政治史の理論」など。

高橋進(1) たかはし-すすむ

1887-1936 大正-昭和時代前期のスキー選手。
明治20年生まれ。44年オーストリアのレルヒ少佐にスキーの指導をうける。全日本スキー選手権大会に毎回出場。また著作などによりスキーの普及と後進の指導につとめた。昭和11年6月18日死去。50歳。新潟県出身。筆名は翠郊。著作に「スキーの家」「スキー術五十講」など。

高橋進(2) たかはし-すすむ

1902-1984 大正-昭和時代の能楽師シテ方。
明治35年1月1日生まれ。宝生流。大正4年近藤乾三に入門,その推薦で16代宝生九郎の内弟子となる。昭和52年「卒都婆(そとば)小町」で芸術選奨。53年人間国宝。高浜虚子の門人で,「すゝむ句集」がある。昭和59年10月19日死去。82歳。茨城県出身。旧姓は塚田。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の高橋進の言及

【宝生流】より

…友于は官許を得て1848年(嘉永1)神田筋違橋(すじかいばし)御門外で晴天15日間の勧進能を興行したが,これは江戸時代の最後を飾る大能であった。 16世九郎知栄(ともはる)(宝生九郎)は維新の難関を切り抜け近代の能界をリードした名人で,弥五郎友于以来の門弟巳野喜松,命尾与作・寿六,日吉弥八,松本金太郎らの協力を得て活躍,華族や高級官僚の間に流勢を伸ばし,松本長(ながし),野口兼資(かねすけ),近藤乾三,高橋進(1902‐84。人間国宝),田中幾之助(1903‐83)ら逸材を育て,今日の宝生流の基礎をつくった。…

※「高橋進」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

お手玉

世界各地で古くから行われている遊戯の一つ。日本では,小豆,米,じゅず玉などを小袋に詰め,5~7個の袋を組として,これらを連続して空中に投げ上げ,落さないように両手または片手で取りさばき,投げ玉の数や継...

お手玉の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android